秋の南東北自転車旅 2018/11/2 仙台↔︎石巻(東日本大震災被災地)
起床・仙台の快活で
仙台市郊外のネットカフェで起きる。
快活クラブは朝食(とは言っても食パンとポテトだが)は無料、
そんでもって(当時は)カレーが100円だったので他のネカフェよりもコスパがいい。
しかし、忘れてはいけない。
丸2日お風呂に入っていない。
なぜ、ネカフェなのにシャワーがないんだ。
汚い★臭い★危険
の3Kをこの旅ではフルコンプリートしている。
都心部のネカフェはシャワーがあって、郊外にはないパターンが多いんだが、
仙台市青葉区の中心部はチャリを盗まれる危険性もある(雑居ビルに入居しているタイプだし、夜はまあまあ治安が悪い)し、
風呂を犠牲にすることに決めたわけである。
一番は髪の毛がベトベトで気持ち悪い。
起床すると、やること。
飲み物が無料だから、まずリアルゴールドとコーヒーを注入しまくる。
そしてありとあらゆる電子デバイスを充電したりする。
眠気に負けて、充電せずに寝てしまったのだ。
こうして、結構ダラダラ過ごしてしまう。
ネットカフェに泊まって朝早く出られた試しがない。
野宿のメリットって、朝早く
強制的に撤収しないといけないことだと思う。
よりによってこの日も出発したのは朝の9時だった。
更に。この先のルートを決めていなかった。
昨夜、ネカフェに着いたら地図を見て計画しようと決めていても
睡魔には勝てず、後悔が残る。
残る休みは3日間のみ、そう遠くには行けない。
青森に行こうか。
行けなくもないな。
しかし、帰りの新幹線代がもったいない。
かといって他にパッとしたところがないなあ...
と考えていたがせっかく東北に来たのだから、
東日本大震災の被災地をナマで確かめたい。
三陸で、行きやすい被災地...
石巻だ!!
海の方向へ進めるも、
道を迷ってしまい
仙台市内をひたすらグルグルしていた。
相変わらず国道4号は走りづらい。
国道の中でもワースト3に入るレベルでイライラする。
仙台から石巻へ 国道45号線
ようやく、4号線を脱出。
リアス式海岸に沿って仙台から青森まで繋ぐ国道4号の代替ルートだ。
↑海沿いが国道45号、内陸が国道4号
三陸を行く
まだまだ街並みは仙台市内とそう大差はない。
しかし海が近いからなのか、「ここから津波浸水地域」という看板がチラホラ現れる。
なるほど、この辺でも既に車や建物が流されているのか。
間も無くして塩竈市へ。
段々とのどかな港町に変わってくる。
塩釜駅。
ようやく海沿いっぽい景色になってきた...!!!
三陸はアップダウンが激しく、海沿いを走っているのに突然景色が山あいに入ったりするタイプ。
抑揚があって楽しいかと思いきや、
この当時2018年11月は三陸道路の全線開通にむけて、でっけえダンプカーが次々
自分を抜いていく。
道幅は狭いし、何も景色を楽しめない...トホホ
松島
松島町
松島や ああ松島や 松島や...
日本三景に選ばれるこの景色をシャッターに収め...
ようとしたところで次々とダンプに抜かれる。
そんな余裕はない。怖い。
なんとか頑張って撮ったけど...
松島だってわかんねえよ...この写真。
松島海岸駅。
突然人が増え、観光地っぽい景色になってきた。
この辺は車が渋滞していた全然動いていない。
さっき抜かされた車を逆に抜き返す。
意外にも外国人が多い。
穏やかな潮風が吹く。
松島は船に乗ったり、途中の福浦島まで歩いて景色を楽しむのが観光のしかたらしい。
目的地の石巻までまだまだあるので、自転車から降りることなく後にした。
ちなみにこの直後に大学の同級生が彼氏と松島デートしている動画が
たまたまInstagramのストーリーズに流れてきて死にたくなった。
僕の見えている松島と、違う。
再び北へ。
横幅ギリギリでダンプカーに抜かされる為、車道を走るとヒヤヒヤする。
松島の海岸を通り過ぎるとやがて海は姿を消し、
歩行者もいなくなり、のどかな田舎に。
東松島市 奥松島。
国道45号に耐えられず県道22号に迂回。
う〜〜また脚がいてえ。
連日脚が痛むのはサドルの高さが合っていないのだろうか。
正直今まで5年くらい旅を続けた中で
ここまでの痛みは初めてだ。まだ500kmも走っていないのに。
この辺から国道45号線が三陸道路に切り替わり、こちら側の旧道は交通量がガラッと減る。
無料の高速道路が開通すると、全く車がこなくなり、街から音が消える。
それはそれで寂しい。
宮城でもまだまだヨークベニマルはご健在。
何にもない草原の景色から
再び、ジワリジワリと建物が増えてくる。
石巻
桜田 前五輪相「いしまきし」
政令指定都市ではないので、そこまで大きくはないが、
県内人口2位の都市が津波に飲まれたということになる。
石巻市立病院。見
た目が新しいのは、2016年に開院したばかりだから。
もちろん、市民病院自体は昔から存在していたが、
これも津波で浸水し、現在の場所に移設されている。
国道398号
見た感じ、震災の爪痕は残っていない。
行政庁舎からパチンコ他、エンターテイメント施設まで一通り揃っている。
そして、なんでもない日常が流れている。
石巻駅。
第2都市にしては駅はローカル感満載。
駅周辺の建物には、当時の津波の高さを示すガイドが書いてあった。
中心市街地は膝下ぐらい、1M未満の浸水だったという。
ん!なんか飛んでる!
サイボーグ009!!
ここにも!
仮面ライダーも!
この街は、石ノ森ワールドになっている。
中高生時代は石巻市内にあった「岡田劇場」に自転車で2〜3時間かけて通っていたそう。
そこで、北上川の中州にある
石巻市中瀬の、岡田劇場のとなりに
石ノ森萬画館が建てられた。
構想自体は当時の石巻市長が石ノ森本人に協力要請したものだったが、
開館した2001年には既に死去している。
隣にあった岡田劇場は2011年に改装をしたものの、5日後の東日本大震災の津波で跡形もなくなった。
...と、これだけ書いているのに、訪れずに終わってしまった。全然時間がない。
被災地を目に焼き付けるつもりだったのに、「石巻で意外に復興してるじゃん」で終わるのはなんか違う気がした。どこかにあの爪痕が残されているはずなんだ。
段々と景色が怪しくなってくる。
道路は舗装されてまだ新しく、視線の先には海にかかる日和大橋が見える。
やけにダンプカーの往来が激しいな、砂埃が多いなと思ったら。
そこには”何も無い”が延々と広がっていた。
田んぼでも無く、ひたすら空き地が広がるのは異様だ。
言うまでもなく、津波の被害。
門脇町・南浜町
この地区は大半が住宅街になっていた。
何もかも、津波に流されてしまった。
吉海田稲荷。
だだっ広い更地に、枯れた松が寂しく残る。
この松を見ている男性2人は、震災ドキュメンタリー映画「まだ見ぬまちへ」の製作スタッフ。
この1週間後に横浜で上映会を控えているという。
8年経った今でも、津波の恐ろしさを充分に感じることができる。
これでも復興は進んだ方で、ガレキは綺麗さっぱり無くなっていた。
しかし、道路は未舗装。仕方なく自転車を降り、ビンディングシューズのクリートを砂利で削りながら押し歩く。
復興に向けて道路を舗装したり、土地を開発したりの毎日。
意外にも、現場の土木作業員たちは、みんな笑顔で汗を流していて、気さくに話しかけてくれた。
70歳くらいのお爺さん作業員は、「横浜の大学生か〜慶應か?慶應だろ!」と一人で舞い上がっていた。
明治学院大学であること、明治学院大学と明治大学は違うこと、明治大学のほうが頭がいいことを告げると肩を落とされた。
そんなに悪いことをしたかね、俺。
がんばろう!石巻 南浜つなぐ館
砂利道を歩き続けること20分、ようやく目当ての場所へ。
ここにも津波の高さを表すものが。
なんと、津波の浸水深は約7メートル!
石巻駅前は膝下程度だったが、門脇・南浜地区は二階建ての住宅をまるごと飲み込んだという。
がんばろう!石巻
たまたま、この日が金曜日ということで南浜つなぐ館が開いていた。
被害を受ける前の写真も一緒に展示されているから、恐ろしさが一目で分かる。
建物自体は小さいので、20分あればじっくりまわれる。
日常から一瞬にして非日常になった様子が分かりやすく展示されていた。
ここら一帯は復興祈念公園にする予定。
震災や凄惨な事件・事故を後世に伝えていく最善の方法は、建物を建てず公園にすることなんだろう。
8年経っても、流された街は更地のままだし、
とにかく人間の無力さを身体に感じながら、
数分間ぼーっとしていた。
ここにもともと「がんばろう!石巻」の看板が建てられていた。
最近では3.11の話は毎春にしか聞かなくなってきたし、東京の方に住んでいると
何だかんだ復興したのかと誤解していたけれど、
全く人が住める状況ではなかった。
帰ろう。
日和山側の方に住宅街を登る。
高台に行けば津波の被害は免れていて、こんな年期の入ったタバコ自販機でさえ生き残っていた。
路地から子供達がボール遊びをしながら飛び出してきて、安心感を覚えた。
もう日が暮れてしまった...。
途中、石巻のご飯を食べに寄ったスーパーでは何人か声をかけてくれた。
「昔は人がたくさんいたんだけどね」
僕と同い年の娘を持つ女性は、遠い目をしながら当時のことを教えてくれた。
避難するために一斉に日和山公園に駆け登ったらしい。生まれて初めての衝撃だったと。
わざわざ石巻に来てくれてありがとう、と感謝された。
この旅もあと2日しかないので、
東北を青森方面に北上するのは諦めた。
一度仙台に戻る。
日が完全に落ちる。
県道16号線。
宮城県は仙台市近郊でもガラッと田園風景になるパターンが多い。
この道も延々と田んぼが続き、
約1時間コンビニなど、休憩する場所が現れなかった。
大崎市。まあまあ大きな市のはずだが、
大崎も古川という地区以外はずっと田舎。
鹿島台駅。小さな工場や商店が立ち並ぶが、この時間にやっているのは数少ないコンビニくらい。ノンストップで走り続けて、脚がクタクタ。
さらに視界から文明まるごと消える。車も全然通らず、寂しさが込み上げてくる。
畑の土がうんこくせえ。
カエルの声しか聞こえねえ。
暇すぎて、何度も何度も地図を確かめる。
当たり前だけど、自転車漕ぐ以外することない。
何もない区間を3時間弱走っていたと思う。
腹減ったし、トイレしたいし、お風呂入りたい。
ようやく国道4号線が現れた...!!!
富谷(とみや)市。
しばらくは路肩が確保されていて安心していたが、
やはり無慈悲にも自転車を走るスペースは消滅する。
ご覧の通り、コンテナを積んだ大型トラックはみんな左車線を走るので、
潰されてミンチになる前に渋々歩道に上がりゆっくり走る。
あけの平ってところに入ると、
地方バイパスにありがちな飲食店集結ドライブインがあって、
そこにコンビニ、ココイチ、牛タン...
牛タン....!?
完全に仙台で牛タンを食べてないの忘れていた。
思わぬ偶然の牛タンとの遭遇に
「勝った」
と独り言を呟きながら
反射ベストを着た工事現場風の
自転車青年は
牛タンセットを注文する。
利久 富谷あけの平店
もちろんおいしい。久しぶりにまともな飯を食った。
が、しかし、利久って、東京にも横浜にもチェーン展開されているんだね...。知らなければよかった。
というか、そもそもなんで仙台で牛タンを食べるんだろ。
名産ってよりかは、牛タンが仙台発祥なのは、
仙台にいたGHQが残していった牛肉を、
有効活用するために焼き鳥屋が発案したものらしい。
牛タン味のお菓子みたいなお土産ってルーツガン無視やな...
利久は、地元の人からしたら、少し味付けが濃い、
牛丼屋でいうすき家的なポジションらしい。
が、自分からしたら比較的やすく、分厚く、
久しぶりにまともな食事ができて感無量。
仙台
ってのはさておき、私は深夜3時まで営業しているスーパー銭湯を見つけてしまったのだ。
富谷市大清水→仙台市泉区
この辺は、ニュータウンのようになっており、区画整理された一戸建て住宅地になる。
しかし、残念ながらこの近くには、鉄道の駅がどこにもないのである。
こんなにきれいに整備されているのに電車が使えないのはもったいない。
富谷市に地下鉄を!と訴えている人は少なくなくて、ツイッターには
#富谷市に地下鉄の声が多いからTLにだけでも富谷市地下鉄を作ってみる
というハッシュタグも存在していた。
せっかく仙台市のベッドタウンなのにね。みんな車通勤なのかなあ。
スーパーで半額の弁当を食って、スーパー銭湯「竜泉寺の湯」に着弾。
実はこの銭湯、僕の地元にもある激安銭湯で、温泉なのに600円台で入れる。
おまけに深夜3時まで休憩所で寝られるので、我ながら頭がよかったなと思う。
って、おい!
温泉壊れてるんかい!
しかし、風呂につかれるだけありがたい。
3日分の大量の垢、皮脂を流し、
サウナで全身の毛穴を開いたときの爽快感。
風呂から上がると、真っ先に酒を飲み、
閉店まで畳の大広間で眠りにつくのであった・・・。
(続く)