※重要なお知らせ
いつもブログを読んでくださる皆様、ありがとうございます。
このブログサイトですが、移転することに致しました。
今後の新着記事につきましては、以下のサイトに更新いたしますので、よろしくお願いします。
なお、このサイトはまだ移行作業中です。
サイト完成まで温かく見守りいただけると幸いです( ; ; )
秋の南東北自転車旅 2018/11/3 仙台〜山形〜小国
仙台の銭湯から〜激痛〜
....
....
....!!
ファ!!
蛍の光のBGMに起こされる。
ああ。。。
寝ぼけながら、雑に荷物をリュックに詰め込む。
畳の大広間。時刻は2:56。
の休憩所で寝ていたのだ。
午前3時まで営業しているので、宿泊代を浮かすために
閉店ギリギリまで寝よう、という作戦。
結果は大失敗だ。
とりあえず、店員さんに急かされながら、
店を後にする。
確か、すぐに寝れるようにお酒を飲んで寝たんだった。
そのせいなのか、頭に激痛が走る。
この痛さは久しぶりの強烈なやつだわ。
真っ暗の駐輪場で、なんとか自転車の鍵を開け、
意識を朦朧とさせながら国道4号線方面に向かう。
とにかく頭痛いし、めちゃくちゃ寒い。こんなことするんじゃなかった。
途中にローソンがあって、店内のイートインにでも避難したかったが
願いかなわず、、、
気温4度、外のベンチで凍えながら
頭痛止めにホットコーヒーを3杯ほど飲んだ。
結局1時間半くらい外のベンチで頭痛と格闘していた。
3時に起きた意味ねえじゃん。
仙台市内
二日酔い状態だったんだと思う。
朝の4時半、県道22号線で再度仙台市街方面に向かう。
途中自転車が入れないトンネルもあったりして、
仙台の住宅街を彷徨った。
知らない土地の深夜の住宅街に入り込んでしまうと
罪悪感や、わずかな恐怖、絶望みたいのを
感じてしまうのは私だけだろうか。
前日から再び、仙台駅がある青葉区に入る。
「青葉区」の看板が仙台にあること、
そして青葉区が仙台の中心になっていることに
少しウズウズしてしまう。
僕がいる県道22号線は勾当台(こうとうだい)通りというらしい。
昔はここが国道4号線だったんだとか。
夜がだんだん明けてくる。
土曜日になるんだけど、
いかにも高所得者っぽい人たちが
早朝ランをしていた。
仙台の町並みはどこを見ても、
名古屋に似ているな、と感じた。
県道31号線
仙台〜山形間を結ぶ
国道48号と沿うように通る。
国道48号はしばらく自転車が進入禁止なため、
この県道でチンタラ進む。
東北大学医学部、星稜キャンパス。
仙台市中心部から約5km。
都会的な風景から、だんだんと建物が低層のものになり、
少し古びた景色に変わる。
ついには段々と建物が消え始める。
空気も澄んでくる。
隣から川が流れる音もする。
仙台駅から約10キロ内陸に行っただけで
こんな景色になってしまう。
仙台の街は小さかった。
半径3kmほどのエリアに、凝縮していることが分かった。
この怪しげなインターチェンジみたいなものを登っていくと....
バイパスです!!! いらっしゃいませー!!!
国道48号線に合流。
仙台〜山形間はどうしても峠越えが必須になる。
この関山峠ルート、南の笹谷峠ルート、さらに南にある当時未舗装の二口林道とあり、
この国道48号関山峠が最も標高が低く主要国道になる。(山形自動車道もあるけど)
と、いうことは、車がビュンビュン。
路肩が狭い上に車が80km/h以上で迫ってくる。生きた心地しねえ!
耐えられず、途中でJR仙山線(仙台と山形を繋ぐからね)
沿いの国道457号沿いに迂回し、
このバイパスの熱が冷めるのを待つ。
作並温泉...???
仙台で有名な温泉らしい。
美女づくりの湯〜〜〜〜!!
国道48号に復帰。
ここまでくれば、片側一車線になり、
車の流れも落ち着いてくる。
すっかり田舎になってしまった。
空気が美味しいのはわかる。
しかし、標高が徐々に高くなってるため、
とにかく寒い。
気がつけばコンビニも全然出て来ねえよ〜
空気が乾燥していて、かなり呼吸をしているから、
喉が恐ろしく渇く。
飲み物が欲しい。
ここに来て、まだ宮城県なのに、
的な看板も出てきた。
山形が仙台を侵略している構図である。
周囲の木々が段々色づいてきているのがわかる。
この時期、まだ東京では紅葉は見られなかったから、
今シーズン初めての秋っぽい景色を目にする。
段々勾配がきつくなってくる。
携帯の電波も怪しくなってきた。
ニッカウイスキー 仙台工場入口
なんと!
余市についでこんなところに仙台工場があった!
前に北海道を一周した時はじっくり余市工場を見学したが、
今回は時間がなく、スルーすることに。
な〜んと
立派なコケシがお出迎え!
なんてシュールな温泉街なんでしょう。
そこそこ立派な温泉リゾート地だった。
東北の人たちの間では有名なところなんだろうか。
温泉街もあっという間に終わる。
段々車も少なくなり...
約1時間ほど、本気の山登り。
たま〜に迫ってくる大型トラックにヒヤヒヤしながら。
気温が寒いから、上りでもあまり体温が上昇しないのと、
景色が良いのが、
救われポイントではある。
何回も足をついてしまう。
やっぱりテントを積んだ自転車は重い。
関山峠 関山トンネル 制覇!
標高531m。
気がつけば、終わっているといった感じで
そこまできつくはなかった。
やっほう!
さようなら宮城、さようなら仙台
関山トンネル(890m)
舗装ガタガタ〜。
路肩が少なくてよける場所もない...。
山形へ
この東根(ひがしね)市は、さくらんぼの生産量が全国一。
山形県の中でも、ここが最も栽培が盛ん。
ここで山形県を説明しよう!!!
今回来たのは内陸側。
海側には米どころの庄内平野(酒田、鶴岡)
内陸側には山形盆地(新庄、尾花沢、東根、天童、山形、上山、南陽、米沢)
と続く。
なぜ説明をしているかというと、一番土地勘がなかった地域だからだ。
県庁所在地は海側にあると思っていたが、内陸側でした。
関山峠を下り切って、東根市の平野部...
いや、盆地部に入ると、沢山の果樹園が連なっていた。
東北の山梨...
もちろんこっちの方が雪国だし、それなりの違いはあるものの、
盆地という地形、さくらんぼをはじめとした、
栽培している果物の種類も実は共通している部分がある。
まだまだ果樹園地帯は続く。
盆地の特性上、天気が変わりやすい。
さっきまで晴れていたのに、向こうの方からパラパラ雨がやってきたり、
突風が吹き荒れていた。
国道48号もそろそろ
国道13号(福島〜山形〜秋田)にぶつかり、しばらく重複区間が始まる。
仙台から山形までを繋ぐ国道48号は、
山形県天童市で国道13号と重複区間になるので、実際の単独距離は60キロとかそんなもんしかない。
簡単に全制覇できてしまう国道だ。
国道13号(国道48重複) 天童温泉
そろそろお腹が空いたのと、全然休憩していなかったことに気がつき、たまたま見つけた
道の駅 天童温泉 へ。
ででん!!
今日は土曜日。
色んな農家さんが、直売していた。
で、そこのおばさんが私をみて手招きしてきたのだ。
一通り旅の話をすると、「わざわざ山形によってくれてありがとう」と、
試食のお米にごま塩を振って差し出した。
「おなか空いてるでしょ?」と
4杯も5杯も振舞ってくれたのだ。
もちろん自転車なので、お米をお土産に買えない、
積めないのに、そんなことは気にせずにどんどん振舞ってくれる。
少し申し訳なかったが、
心がポカポカした。
「今日は土曜日で色んなお店も出ているからゆっくりしていきなさいね〜」
さくらんぼ、洋ナシ、玉こんにゃく...
なるほど、JAサンピュアも併設されているから、
野菜や果物がとにかく多い。
たくさん買いたいのにし、自転車なので、何も積めない〜!
そんなあなた!
このミックスフライ定食
なんと600円とかで食べれる。
それでもお得なんだけど...
ブッフェ付きwww
なんと、ご飯も味噌汁も地元の野菜も、たくあんも、洋ナシもりんごもwww
価格破壊が起こっていた。
とりあえずご飯を6杯食べた。
久しぶりに、たらふく食べた。
この道の駅には温泉こそない(天童温泉って名前のくせにな)
が、
地元のリーズナブルな食材や
無料で入れる足湯もある!
どんどん休憩の沼へ引き込まれていく〜〜。
足湯から出ると、さっきのおばさんがまた、
おにぎりを作ってくれるから、
「さっきバイキングで食べたのでもうお腹いっぱいですw」
と断りつつ、
それでも1個だけいただいて、
別れを告げた。
お礼に今度はお米を買いに
訪れたいな。
さて、こちらは国道13号線。
カーブが少ない直線の道路がしばし続く。
この日は強い追い風で、
35km/hほどの高速巡航ができた。
典型的な地方国道の
ロードサイド街が連なっていた。
天童から約10kmですぐに
山形市に入る。
山形駅。
結構都会...!!
そんなに高い建物はないものの、
綺麗に区画は整理されているため、
居心地が良い。
まあ、新幹線も止まる駅だしな。
山形...
東京の大学生が免許合宿で
連れていかれる都市第1位(俺調べ)。
マツキドライビングスクールっていうんだっけな。
山形駅周辺の中心地はかなり狭い範囲で、
駅から2kmほど離れると、すぐに住宅街へと姿を変える。
駅前は飲み屋などが連なっているが、
あまり遊ぶところは正直少なさそうで、
地元の人はどこで遊んでいるのだろう、と疑問に思った。
やっぱイオンモールか。
山形大学医学部
のんびりと、大学生が勉強するには適した環境かも。
山形市の隣、上山(かみのやま)市へ
向こうに見える観覧車はテーマパーク、リナワールド。
山形唯一の遊園地、冬は営業休止しているらしい。
東北最大級の遊園地と謳っているが...
こんなレビュー、逆に行ってみたくなる。
老朽化が激しくてある意味スリルがある、とか。
バックトゥザ国道13号。
だだっ広い直線道路を
ひた走る。
片側二車線の高速道路並みの国道で、
車は80〜100km/hで流れている。
路肩が広いからいいものの、景色の変化は少なく、若干上り坂気味で、これを2時間くらい走るのは少し苦痛だった。
ようやく1車線に。
南陽(なんよう)市
そういえば全然コンビニも見てねえ。
ご覧の通り、山か畑しかないのである。
何にもねえ〜〜。。
途中で現れたファミマのイートインのありがたみを
感じ、1時間以上休憩していた。
近くには赤湯温泉という小さな温泉街も存在する。
ムムム!!
米沢に出ようと思っていたが、ここで国道13号とはおさらば。
この先、米沢、喜多方、会津若松、日光と続くのだが、
今回の旅ではパス。
ということで
右に行って新潟方面に...
と、、思いきやまっすぐも右も自動車専用道路。
くそわかりづれえ。
とにかく山形県
は自転車に優しくないことが
わかった...。
しぶしぶ、新潟に出る道を探すために
逆方向に後戻りするのであった。
えーい くそう。
国道13号に本当の別れを告げ
新潟に向かう。
道幅の割に全く車が走っていない。
向かい風ぇ〜〜〜
気温が下がっていく。
雲一つ無いので、
今夜は放射冷却でかなり冷えそう。
ひとまず看板に「新潟」の文字があり、そう遠くはないという
安心感はあった。
今日中に辿り着けるかな。。。
田舎の象徴、サギ。
本当に田んぼを見ればどこにでもいるレベルだ。
家、店、畑、山。
そこには人間が生活するための
最低限のものだけが揃っていた。
流れている時間はものすごくゆったりしていた。
夜の山越え、新潟方面へ
平野部に低い建物が、
広い間隔で立ち並ぶ。
この後、山間部に入っていくのだが、
日は沈む一方で
残念ながら
暗闇の山の中に入ることが確定してしまった、、、。
土曜日だからまだ人はいるかなあ。
さようなら南陽市
飯豊(いいで)町
本当に山の中に入ってしまった。
夕方に山越えチャレンジをするとひどく後悔する。
と、思ったら
道の駅いいで めざみの里観光物産館
幸か不幸か、山の麓に煌煌と光る大きな建物を見つけてしまう。
土曜の夜、道の駅は家族づれで賑わっていて、キャンピングカーも
停まっていた。
家族旅行を楽しむ人の声を聞いて、少し寂しくなるなあ。
そのあとに睡魔が襲ってくる。
今日、そういえば、まともに寝ていなかった...
銭湯で仮眠したぐらいで、段々意識が遠のいていった。
こんな感じの休憩所があって
横になったり、持っていたお菓子を食べたりしていた。
ガラス張りになっていて、家族づれで賑わう中、
小汚い旅人が寝転がっているのは恥ずかしい。
かなり視線が気になるが、
結局睡魔には勝てず、寝てしまった。
・・・
2時間くらい休んでいたのだろうか。
いい加減、山を越えようと
覚悟を決めて、後にする。
山形と新潟の間の峠
宇津峠を越えにゆく。
標高は384mと大したことないため、
この夜の間に越えられるだろう、と考えていた。
最初は意外にも走りやすい。
そんなに勾配はきつくなく、路肩もしっかり取られている。
オレンジ色の街灯は、寂しさを紛らわしてくれる!!!
ありがとう街灯!!このまま光り続けてね!!
約束だぞ!!
って、あれ。
もう真っ暗や。
路肩も無くなったし。
一応、山形から新潟に抜ける主要な国道なため、
何台かの車がアクセルをふかしながら猛スピードで登っていく。
が、やはり台数はまばらだ。
さ、さ、寒い。
5度にまで冷え込んできた。
まだ明るい所もある。希望。
この旅1番の冷え込みなので、ダウンジャケットを羽織り、
その上からレインウェアも羽織る。
何回旅をしても、夜の山は暗いし、冷え込むし、怖い。普通に慣れない。
しかし、この時は強力な中国製ライトを追加したため、
そのライトの明るさに少しワクワクしているような、
使用テストも兼ねていたこともあって、
今日中に山を越えそうな予感がしていた。
しかし....
だんだん視界が白くなっていくぞ....
やべえ何にも見えない....
霧の真っ白な世界に怯えている中、ポツンと現れた
小国町のファミマに安堵を覚え、
夕飯ついでに、イートインに”また”長居してしまった。
1時間くらいいたかな、
ドンドン時間は過ぎていくのだ...。
除雪車がコンビニに置かれている。
どうもこの辺は豪雪地帯らしい。
あと数週間したら、もうこの辺は銀世界なんだとか。
ということで、宇津峠を登っていった先には、
小国町という、山の上にしては、
比較的街が形成されているエリアに来る。
あとは、山を下るだけ...なんだが、
霧のせいで何にも見えない。
後ろから猛スピードでやって来る車に
抜かれるのがとにかく怖くて、
これ以上進んでいいのだろうか、と
若干萎縮し始めていた。
いやん、マジで真っ白やん。
そんな中現れるのがこの道の駅。
名前は、
道の駅 白い森 おぐに
らしい。
周辺に自生するブナの幹や雪をイメージして名付けられたそうだが、
この霧だらけの世界はある意味白い森である。
もう5kmくらい進めば、すぐに新潟県がやって来るらしい。
が、霧はドンドン濃くなって行くばかりで、
風も強くなり、夜の自然の怖さに、
これ以上進める自信が、
小心者の自分にはなかった。
さらには
トイレや自販機、明かりが揃っているオアシスを
一度見つけてしまうと、
なかなか離れることはできずに、
諦めて結局ここでテントを立てることにした。
何回も旅をしているのに、このビビリ症は治らない。
この道の駅には車が1台しか停まっておらず、
本当に人がいるのかも分からなかったため、
とにかく孤独だった。
テントの中に入れば、凝り固まった筋肉が一気にほぐれた。
同じ場所にナイロンの布を張るだけで、
こんなに安心感が変わるのかと改めて
テントの効果を実感したのであった。
残念でした!今日中に新潟には行けません!
ちなみに、午前0時に、アメリカにいる
彼女が20歳の誕生日を迎えたが、
テントの中で睡眠時間をかなり気にしながら
電話を入れるという、
レビュー星2つ半くらいつけられそうな
おめでとう電話になってしまった。
ごめんなさい。
秋の南東北自転車旅 2018/11/2 仙台↔︎石巻(東日本大震災被災地)
起床・仙台の快活で
仙台市郊外のネットカフェで起きる。
快活クラブは朝食(とは言っても食パンとポテトだが)は無料、
そんでもって(当時は)カレーが100円だったので他のネカフェよりもコスパがいい。
しかし、忘れてはいけない。
丸2日お風呂に入っていない。
なぜ、ネカフェなのにシャワーがないんだ。
汚い★臭い★危険
の3Kをこの旅ではフルコンプリートしている。
都心部のネカフェはシャワーがあって、郊外にはないパターンが多いんだが、
仙台市青葉区の中心部はチャリを盗まれる危険性もある(雑居ビルに入居しているタイプだし、夜はまあまあ治安が悪い)し、
風呂を犠牲にすることに決めたわけである。
一番は髪の毛がベトベトで気持ち悪い。
起床すると、やること。
飲み物が無料だから、まずリアルゴールドとコーヒーを注入しまくる。
そしてありとあらゆる電子デバイスを充電したりする。
眠気に負けて、充電せずに寝てしまったのだ。
こうして、結構ダラダラ過ごしてしまう。
ネットカフェに泊まって朝早く出られた試しがない。
野宿のメリットって、朝早く
強制的に撤収しないといけないことだと思う。
よりによってこの日も出発したのは朝の9時だった。
更に。この先のルートを決めていなかった。
昨夜、ネカフェに着いたら地図を見て計画しようと決めていても
睡魔には勝てず、後悔が残る。
残る休みは3日間のみ、そう遠くには行けない。
青森に行こうか。
行けなくもないな。
しかし、帰りの新幹線代がもったいない。
かといって他にパッとしたところがないなあ...
と考えていたがせっかく東北に来たのだから、
東日本大震災の被災地をナマで確かめたい。
三陸で、行きやすい被災地...
石巻だ!!
海の方向へ進めるも、
道を迷ってしまい
仙台市内をひたすらグルグルしていた。
相変わらず国道4号は走りづらい。
国道の中でもワースト3に入るレベルでイライラする。
仙台から石巻へ 国道45号線
ようやく、4号線を脱出。
リアス式海岸に沿って仙台から青森まで繋ぐ国道4号の代替ルートだ。
↑海沿いが国道45号、内陸が国道4号
三陸を行く
まだまだ街並みは仙台市内とそう大差はない。
しかし海が近いからなのか、「ここから津波浸水地域」という看板がチラホラ現れる。
なるほど、この辺でも既に車や建物が流されているのか。
間も無くして塩竈市へ。
段々とのどかな港町に変わってくる。
塩釜駅。
ようやく海沿いっぽい景色になってきた...!!!
三陸はアップダウンが激しく、海沿いを走っているのに突然景色が山あいに入ったりするタイプ。
抑揚があって楽しいかと思いきや、
この当時2018年11月は三陸道路の全線開通にむけて、でっけえダンプカーが次々
自分を抜いていく。
道幅は狭いし、何も景色を楽しめない...トホホ
松島
松島町
松島や ああ松島や 松島や...
日本三景に選ばれるこの景色をシャッターに収め...
ようとしたところで次々とダンプに抜かれる。
そんな余裕はない。怖い。
なんとか頑張って撮ったけど...
松島だってわかんねえよ...この写真。
松島海岸駅。
突然人が増え、観光地っぽい景色になってきた。
この辺は車が渋滞していた全然動いていない。
さっき抜かされた車を逆に抜き返す。
意外にも外国人が多い。
穏やかな潮風が吹く。
松島は船に乗ったり、途中の福浦島まで歩いて景色を楽しむのが観光のしかたらしい。
目的地の石巻までまだまだあるので、自転車から降りることなく後にした。
ちなみにこの直後に大学の同級生が彼氏と松島デートしている動画が
たまたまInstagramのストーリーズに流れてきて死にたくなった。
僕の見えている松島と、違う。
再び北へ。
横幅ギリギリでダンプカーに抜かされる為、車道を走るとヒヤヒヤする。
松島の海岸を通り過ぎるとやがて海は姿を消し、
歩行者もいなくなり、のどかな田舎に。
東松島市 奥松島。
国道45号に耐えられず県道22号に迂回。
う〜〜また脚がいてえ。
連日脚が痛むのはサドルの高さが合っていないのだろうか。
正直今まで5年くらい旅を続けた中で
ここまでの痛みは初めてだ。まだ500kmも走っていないのに。
この辺から国道45号線が三陸道路に切り替わり、こちら側の旧道は交通量がガラッと減る。
無料の高速道路が開通すると、全く車がこなくなり、街から音が消える。
それはそれで寂しい。
宮城でもまだまだヨークベニマルはご健在。
何にもない草原の景色から
再び、ジワリジワリと建物が増えてくる。
石巻
桜田 前五輪相「いしまきし」
政令指定都市ではないので、そこまで大きくはないが、
県内人口2位の都市が津波に飲まれたということになる。
石巻市立病院。見
た目が新しいのは、2016年に開院したばかりだから。
もちろん、市民病院自体は昔から存在していたが、
これも津波で浸水し、現在の場所に移設されている。
国道398号
見た感じ、震災の爪痕は残っていない。
行政庁舎からパチンコ他、エンターテイメント施設まで一通り揃っている。
そして、なんでもない日常が流れている。
石巻駅。
第2都市にしては駅はローカル感満載。
駅周辺の建物には、当時の津波の高さを示すガイドが書いてあった。
中心市街地は膝下ぐらい、1M未満の浸水だったという。
ん!なんか飛んでる!
サイボーグ009!!
ここにも!
仮面ライダーも!
この街は、石ノ森ワールドになっている。
中高生時代は石巻市内にあった「岡田劇場」に自転車で2〜3時間かけて通っていたそう。
そこで、北上川の中州にある
石巻市中瀬の、岡田劇場のとなりに
石ノ森萬画館が建てられた。
構想自体は当時の石巻市長が石ノ森本人に協力要請したものだったが、
開館した2001年には既に死去している。
隣にあった岡田劇場は2011年に改装をしたものの、5日後の東日本大震災の津波で跡形もなくなった。
...と、これだけ書いているのに、訪れずに終わってしまった。全然時間がない。
被災地を目に焼き付けるつもりだったのに、「石巻で意外に復興してるじゃん」で終わるのはなんか違う気がした。どこかにあの爪痕が残されているはずなんだ。
段々と景色が怪しくなってくる。
道路は舗装されてまだ新しく、視線の先には海にかかる日和大橋が見える。
やけにダンプカーの往来が激しいな、砂埃が多いなと思ったら。
そこには”何も無い”が延々と広がっていた。
田んぼでも無く、ひたすら空き地が広がるのは異様だ。
言うまでもなく、津波の被害。
門脇町・南浜町
この地区は大半が住宅街になっていた。
何もかも、津波に流されてしまった。
吉海田稲荷。
だだっ広い更地に、枯れた松が寂しく残る。
この松を見ている男性2人は、震災ドキュメンタリー映画「まだ見ぬまちへ」の製作スタッフ。
この1週間後に横浜で上映会を控えているという。
8年経った今でも、津波の恐ろしさを充分に感じることができる。
これでも復興は進んだ方で、ガレキは綺麗さっぱり無くなっていた。
しかし、道路は未舗装。仕方なく自転車を降り、ビンディングシューズのクリートを砂利で削りながら押し歩く。
復興に向けて道路を舗装したり、土地を開発したりの毎日。
意外にも、現場の土木作業員たちは、みんな笑顔で汗を流していて、気さくに話しかけてくれた。
70歳くらいのお爺さん作業員は、「横浜の大学生か〜慶應か?慶應だろ!」と一人で舞い上がっていた。
明治学院大学であること、明治学院大学と明治大学は違うこと、明治大学のほうが頭がいいことを告げると肩を落とされた。
そんなに悪いことをしたかね、俺。
がんばろう!石巻 南浜つなぐ館
砂利道を歩き続けること20分、ようやく目当ての場所へ。
ここにも津波の高さを表すものが。
なんと、津波の浸水深は約7メートル!
石巻駅前は膝下程度だったが、門脇・南浜地区は二階建ての住宅をまるごと飲み込んだという。
がんばろう!石巻
たまたま、この日が金曜日ということで南浜つなぐ館が開いていた。
被害を受ける前の写真も一緒に展示されているから、恐ろしさが一目で分かる。
建物自体は小さいので、20分あればじっくりまわれる。
日常から一瞬にして非日常になった様子が分かりやすく展示されていた。
ここら一帯は復興祈念公園にする予定。
震災や凄惨な事件・事故を後世に伝えていく最善の方法は、建物を建てず公園にすることなんだろう。
8年経っても、流された街は更地のままだし、
とにかく人間の無力さを身体に感じながら、
数分間ぼーっとしていた。
ここにもともと「がんばろう!石巻」の看板が建てられていた。
最近では3.11の話は毎春にしか聞かなくなってきたし、東京の方に住んでいると
何だかんだ復興したのかと誤解していたけれど、
全く人が住める状況ではなかった。
帰ろう。
日和山側の方に住宅街を登る。
高台に行けば津波の被害は免れていて、こんな年期の入ったタバコ自販機でさえ生き残っていた。
路地から子供達がボール遊びをしながら飛び出してきて、安心感を覚えた。
もう日が暮れてしまった...。
途中、石巻のご飯を食べに寄ったスーパーでは何人か声をかけてくれた。
「昔は人がたくさんいたんだけどね」
僕と同い年の娘を持つ女性は、遠い目をしながら当時のことを教えてくれた。
避難するために一斉に日和山公園に駆け登ったらしい。生まれて初めての衝撃だったと。
わざわざ石巻に来てくれてありがとう、と感謝された。
この旅もあと2日しかないので、
東北を青森方面に北上するのは諦めた。
一度仙台に戻る。
日が完全に落ちる。
県道16号線。
宮城県は仙台市近郊でもガラッと田園風景になるパターンが多い。
この道も延々と田んぼが続き、
約1時間コンビニなど、休憩する場所が現れなかった。
大崎市。まあまあ大きな市のはずだが、
大崎も古川という地区以外はずっと田舎。
鹿島台駅。小さな工場や商店が立ち並ぶが、この時間にやっているのは数少ないコンビニくらい。ノンストップで走り続けて、脚がクタクタ。
さらに視界から文明まるごと消える。車も全然通らず、寂しさが込み上げてくる。
畑の土がうんこくせえ。
カエルの声しか聞こえねえ。
暇すぎて、何度も何度も地図を確かめる。
当たり前だけど、自転車漕ぐ以外することない。
何もない区間を3時間弱走っていたと思う。
腹減ったし、トイレしたいし、お風呂入りたい。
ようやく国道4号線が現れた...!!!
富谷(とみや)市。
しばらくは路肩が確保されていて安心していたが、
やはり無慈悲にも自転車を走るスペースは消滅する。
ご覧の通り、コンテナを積んだ大型トラックはみんな左車線を走るので、
潰されてミンチになる前に渋々歩道に上がりゆっくり走る。
あけの平ってところに入ると、
地方バイパスにありがちな飲食店集結ドライブインがあって、
そこにコンビニ、ココイチ、牛タン...
牛タン....!?
完全に仙台で牛タンを食べてないの忘れていた。
思わぬ偶然の牛タンとの遭遇に
「勝った」
と独り言を呟きながら
反射ベストを着た工事現場風の
自転車青年は
牛タンセットを注文する。
利久 富谷あけの平店
もちろんおいしい。久しぶりにまともな飯を食った。
が、しかし、利久って、東京にも横浜にもチェーン展開されているんだね...。知らなければよかった。
というか、そもそもなんで仙台で牛タンを食べるんだろ。
名産ってよりかは、牛タンが仙台発祥なのは、
仙台にいたGHQが残していった牛肉を、
有効活用するために焼き鳥屋が発案したものらしい。
牛タン味のお菓子みたいなお土産ってルーツガン無視やな...
利久は、地元の人からしたら、少し味付けが濃い、
牛丼屋でいうすき家的なポジションらしい。
が、自分からしたら比較的やすく、分厚く、
久しぶりにまともな食事ができて感無量。
仙台
ってのはさておき、私は深夜3時まで営業しているスーパー銭湯を見つけてしまったのだ。
富谷市大清水→仙台市泉区
この辺は、ニュータウンのようになっており、区画整理された一戸建て住宅地になる。
しかし、残念ながらこの近くには、鉄道の駅がどこにもないのである。
こんなにきれいに整備されているのに電車が使えないのはもったいない。
富谷市に地下鉄を!と訴えている人は少なくなくて、ツイッターには
#富谷市に地下鉄の声が多いからTLにだけでも富谷市地下鉄を作ってみる
というハッシュタグも存在していた。
せっかく仙台市のベッドタウンなのにね。みんな車通勤なのかなあ。
スーパーで半額の弁当を食って、スーパー銭湯「竜泉寺の湯」に着弾。
実はこの銭湯、僕の地元にもある激安銭湯で、温泉なのに600円台で入れる。
おまけに深夜3時まで休憩所で寝られるので、我ながら頭がよかったなと思う。
って、おい!
温泉壊れてるんかい!
しかし、風呂につかれるだけありがたい。
3日分の大量の垢、皮脂を流し、
サウナで全身の毛穴を開いたときの爽快感。
風呂から上がると、真っ先に酒を飲み、
閉店まで畳の大広間で眠りにつくのであった・・・。
(続く)
秋の南東北自転車旅 2018/11/1 那須塩原〜福島〜仙台
栃木県
那須塩原市 道の駅 那須野が原美術館
那須塩原市の住宅街にあった道の駅。
東屋に張っていたテントを渋々と片付ける。
この季節は朝になるとかなり冷え込んで、
夜明け前に目が覚めても撤収に1時間近くかかってしまい、
朝の5時半とかに走り出す。
ファミマで明太パスタを、駐車場の車輪止めに座りながらかき入れて、
2時間後に重い腰をあげる。
空気が美味しい。
そういえば
地方に行けば行くほど、
主要駅ごとに必ず存在する
ルートインホテルの多さに驚く。
「ゆっくり走っておいでナス」
気温5℃の寒さに拍車をかける。
国道4号線、ゆるゆると上り坂が始まる。
ここまで200km、ずっと関東平野を走り続けてようやく
景色が変わってきた。
一方で肉体は全然いうことを聞かず、
自販機で2本ほど、500mlの缶コーラを
注入させた。糖分が足りていないのかもしれない。
福島県
白河エリア
福島県 西郷(にしごう)村 突入。
自転車で東北を走ったことがなかったから、
福島から先全て、未開の地だ。
この西郷村は全国の村の中で3番目に人口が多い。
今時市町村の合併が進む中、おとなりの白河市からの
合併要請を断っているらしい。
白河市。
ゆるい山間部が終わり、北関東の延長戦、ロードサイド景色が戻る。
追い風に煽られて時速35キロで走る。
気温10度。
まだウルトラライトダウンジャケットが
脱げない。
人気グループ、GReeeeNが確かここの
歯学部だった気がする。
また、国道4号線のロードサイドは終わり、
車線は狭まり農村部に入る。
車が増えて、もうすぐ須賀川(すかがわ)市!
というところで、
自転車は走れな〜い。
自転車は肩身が狭いです、ほんと。
須賀川市の中心街にくると、でっかい虹!!
見た感じ、晴れてるはずなのに、上から
パラパラと雨が降っていた。
雨雲はどこだ?
朝10時を過ぎて、ペースが落ちてくる。
須賀川付近では交通量が増え、大型なトラックも多い。
今まで信頼しきっていたゆとりのある路肩も
裏切り始め、トラックとの追い越しせめぎ合いが始まる。
おまけに向かい風。季節柄、ススキの向きでご紹介。
路肩がほぼなく、スピードが出ないので歩道へ。
諦めが肝心。
ただひた走るだけでは旅もつまらないので、中核都市をサイクリングするように
最近はルールを決めている。
もうすぐ郡山市、というところで車がかっ飛ばすようになったので
ここで県道17号に離脱。
自転車は車道を走るのが原則だが、斜め右に行きたい場合の正解がイマイチわからん。
郡山市
地方都市はイオンモール勢力に占拠されていくなかで
負けずに頑張っている。
イトーヨーカドーと色違いのハトマーク。
紅丸商店がイトーヨーカドーと業務提携をして現在に至る。
こんな色ってある?と思わず撮ってしまったBMW 3シリーズ。
郡山市街まで来た。
この近くにはライブハウスがあり、
郡山のライブキッズたちの誰もが知っているという
このオブジェ。鳥?じゃがいも?
「郡山 謎のオブジェ」と調べると
TwitterでもGoogleでも画像はたくさん出てくるのだが、
地元の人にも謎なままだった。
駅前アーケードが始まる。
そして、ここが、郡山駅!!
...
あれれ。
横浜から250キロほど走ったはずなんだけど、全然旅している感がない。
駅前付近はビルが立ち並び、ここが横浜市とかさいたま市とか言われても全然気がつかないレベル。
しまいには、新宿駅行きの高速バスが1時間に一本出ているほどで、まだまだ関東勢力の延長線といった感じだった。
しかし、駅前アーケードは平日の昼間ということもあってか、人がほとんど歩いておらず、ビルもよく見ればテナント募集がずらり。
かつては東北のシカゴと呼ばれるほど、反社会勢力が拠点にしていたそうだが、今やそれらも仙台に移り...活気がなくなってきているそうだ。
https://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail3-10-377.html
↑
なおこちら郡山の駅ビル、エスパル郡山。
ショッピング施設からなんと高校まで入居するビル。
皮肉にもこの駅ビルが福島県内で一番高いビルだ。
絶品支那そば!正月屋
お腹も空いてきたし、郡山でラーメンをいただこう。
支那そば 正月屋
地元でも有名なラーメン屋らしく、食べログでは2位に上がってくる。
支那そば。
さらっとしたスープに、シンプルな具材。
麺とスープはしっかりと絡み合っており、
毎日食べられる味だった。
駅から遠いからなのか、お昼の割には席が空いていたなあ。
再び国道4号線へ。
福島は海沿いから、浜通り、中通り、会津と3つの地域によく分かられて、この国道4号は中通りにあたる。
この郡山は福島原発から山を挟んで約70キロ西に位置するため、
被災者の生活拠点としても機能していた。
「コインランドリー あ」
どうしたらその名前になるのか。
いるよね、ゲームのハンドルネームとか。
渋々とコインランドリーを開業する羽目になったのだろうか。
ググってみても誰もこのことに突っ込んでいない。
「仙台」の文字が登場。まだまだあるなぁ。
ぜってぇ俺らの方が都会!みたいなのをやりあってるんだろうなぁ。
しかし、
どうやら郡山市の方が福島市よりも人口が多いし、経済規模でも東北の中では仙台市に次ぐらしい。
福島県内ではいわき市と郡山市で首位を争っており、いや福島市どうした状態。
東北に入ってから全国チェーン「ラーメンショップ」の数が増える。
そんなこんな言ってるうちに、二本松市へ。
びっくりしたのは、浜通りにある浪江町役場がこの二本松市にあるということ。
一瞬何を言ってるんだ、この方面は内陸方面だろと思ったが、
福島原発付近の市町村は行政も住宅も中通りにまるごと移転していた。(なお、2017年に浪江町本庁舎が再開し、今は郡山、二本松などに多拠点状態)
8年経つが、なかなか放射性物質が減るには時間が必要で、数十年レベルになるんだろう。
それにしても国道4号線は延々とバイパスのような作りで、
大型トレーラーがひっきりなしに80km/hで迫り、路肩なし、歩道の整備は不十分で精神的に良くない。
しまいには景色が全く変わらないから諦めて旧道に降りてしまった。(県道114号)
福島市
さすがは地方国立、大学の校門からは学生が乗った軽自動車がひっきりなしに出入りしていた。ここは車文化。
福島盆地が見えてきた!
郡山から二本松にかけてゆるゆると実は登っていたらしい。
国道4号は相変わらず路肩がないため、歩道が車道か悩むところ。
下り坂に差し掛かって車道に出たいのに、今度は柵があってまたげない!
車の流れと一緒にぶっ飛ばして、盆地に降り立ったぞ〜。
福島駅着弾!
ん〜なにもないなあ
県庁所在地なのに、印象的なのはイトーヨーカドーが近くにあったぐらい。
地方に出れば、駐車場は安くなるはずなのだが、
駅前の駐車場は最大料金6200円と、目を疑うレベル。
六本木ヒルズの駐車場が最大3000円だから、東京都港区よりも地価が高いことになる(違う)
駅の裏側に回り込んでみても、印象的な建物はない。
街の景観自体は綺麗に整っているのに、これといったランドマーク的存在がないのが残念。
郡山と県庁の取り合いになるのも頷ける。
さて、ふたたび国道4号へ。
ここ福島市は国道13号線の起点でもあり、山形県米沢市、山形市を経由して秋田市まで繋がる。
主要国道が2つ交差する都市にしてはもう少し頑張って欲しいな、
だんだん寒くなってきた。
景色に変化がなくて、関東がずっと続いている感じなんだが、寒さは東北なだけあって一段と厳しい。
伊達って言われると仙台のイメージがなんだか強いんだけど、福島県なんだね。
季節柄、17時を過ぎればすぐに真っ暗。
この旅で初めての峠がこの先の福島宮城県境で待っている。
どの程度の峠なのかは読めないが、真っ暗の峠を越えることに少し不安を覚える。
体力がきれてコンビニで1時間以上休憩。カップスープで体を温めるぐらい、外は寒い。
車線減少、急に交通量が減る。
あれだけ幹線道路だったはずの国道4号線も静かに。
標高185mの小さな峠を息を切らしながら登る。
宮城県
白石蔵王
この地域はいわゆる”蔵王”エリア。
時間があれば少し山を登ったところにある
蔵王キツネ村に行こうと意気込んでいたが
実際そんな時間はなかった。
県境で峠は頂上に差し掛かる。
そこそこのキツさはあったが、
低いギアでユルユル登っていれば難なく
こなせる。
逆に、宮城県側は割と急な下り坂で、
気温7度の寒さに拍車がかかる。
身体を強張らせながら峠を下る。
幹線道路に。(白石バイパス)
国道4号はどこもかしこも路肩が狭いし、大型トラックが多すぎる。
重機運搬トレーラーのような、車幅ギチギチなタイプも少なくない。
かといって歩道はガタガタだしかなりストレスがたまる。
2日連続、200kmライドで、脚も思うように動かず、
諦めて国道4号から離脱した。
白石川や東北本線に沿った県道50号線へ。
こっちにきたら街灯も何もなくなり視界から道路以外のものが消える。
しばらく1時間くらい、こんな景色。
一応、線路に沿った道路なので
しばらく走ると等間隔に無人駅が現れるようになる。
学校帰りの高校生がどっと出てきたり、仙台から通える範囲ではあるので、電車から降りてから人は意外に多い。
駅の裏の自販機近くで高校生カップルが壁ドンをしながら90秒くらいの長いキスをしていたんだが、
俺は遠慮なくその自販機のレッドブルを買って飲み干した。
彼らもやめるのが気まずいと思ったのか"逆に"キスを続けていた。
大河原町。この辺から街に活気がでてくる。
ここでまた国道4号へ。
脚が全く動かなくなってきて、徐々に痛みも覚えてくる。
仙台が近くなるにつれて、走り屋みたいな車が増えてきて恐ろしいスピードで電光石火のごとく突っ込んでくる、恐ろしい。
仙台市
仙台市太白(たいはく)区
またまた4号線からそれて県道278号線へ。
なんだかんだ福島市から60キロ近く走っており、体力限界、猛烈な睡魔。
おまけに脚が全く動かなくなってきて、途中の歩道橋の階段を押し歩きしているときに、これマジでヤバいやつだと思った。。。
しかしせっかく仙台市まで入っているし這ってでも
仙台駅まで脚を酷使しよう、最悪明日にでも仙台から新幹線で帰ってしまおう、と考えていた。
だんだんと高層ビル群が見えてくる。この感覚、愛知の蟹江町みたいな田舎から名古屋市が近づいてくる感覚に似ている(伝われ)。
長町駅。
急に現れるニュータウン。
IKEAだライブハウスだ立ち並び、区画的にはお台場のようなベイサイドエリアにありがちな都市開発方法だった。ここから近くに海ないけど。
仙台の区は中央区や南区のような方角の名前に頼らず、独特な名前が各区につけられていて
面白い。
仙台市内には大きなタワーが3つあり、
そのうちの2つがこのスカイキャンドル、ミヤテレタワー。
遠巻きにみると3つ連なって見えることから、トリプルタワーと愛称で呼ばれる。
仙台市に入って1時間近く。
大都会な街並みになる。
あれ、この交差点どうやってまっすぐ行けばいいんだ!
仙台駅に行きたいのに三車線またぎ?
23時30分
横浜から400キロ地点 仙台駅
脚をひきずりながら、途中で3本くらい置いていきながら、
ようやくネオン街SENDAIに到着。
東北の中心都市の割には駅舎は古め。
この造りは埼玉の大宮駅にかなり似ている。
そして、仙台駅についた瞬間にこの旅で初めて声をかけられた。
リュックに「南東北自転車旅中」と書いていたのに400キロもの間、誰にも声をかけられなかった。
声をかけてきたおじさんは、横浜〜仙台を丸2日でたどり着いたことに驚いていた。
繁華街はどこか?と聞けば国分町が栄えているとのことで、
仙台駅を後にする。
深夜0時をまわり、人はまばらだが、
繁華街が近づくと街の明かりも煌々としてくる。
ああ久しぶりの歓楽街、国分町。
言ってみれば仙台の歌舞伎町といったところか。
黒服の男がたくさん店の前に立っていてキャッチをしている。
光から闇まで全てが揃っている街、さすがは大都会...!!!
しかしこのド派手な反射ベストを着た男が夜の仙台で、
キャバクラや風俗に入るわけもなく、
かといってこの時間にカジュアルに入れそうな牛タン屋さんもなく、
寝床を探すことにした。
飲み帰りのサラリーマン(とは言っても話を聞けば自分の一個上の歳だった)が話しかけてきた。
名古屋の大学を出て仙台の会社に配属されたという。
都市の規模感は名古屋人から見ても「あんま変わらない、新鮮味がない」とのことだった。
そんな彼も、学生時代に自転車で北海道を一周したことがあるらしく、仙台で北海道の話題で盛り上がり、そのまま別れてしまった。
国分町や一番町といった繁華街に寝床は見当たらず、
ビルに入居するネットカフェに行けば、確実に自転車が盗まれそうだった為、仙台市郊外まで出ることにした。
宮城野区まで出てみる。
ほんと色々考えるよな、区の名前。
楽天スタジアム発見。周りには特に何もなく、住宅街にドデーンと現れる。
仙台市の中でも、有名どころは半径3キロ以内に集結していて、まるで福岡のようなコンパクトシティだなとも感じる。
誰もいない真っ暗なスタジアム🏟
むしろワクワクする。
ちなみにさっきから楽天スタジアムと呼んでいるが、
ここの正式名称は「楽天生命パーク宮城」であり、楽天スタジアムという名前になったことは一度もなかったw
(フルキャストスタジアム宮城→日本製紙クリネックススタジアム→楽天Koboスタジアム→Koboパーク宮城→楽天生命パーク宮城)
近くのスーパーで半額弁当を買い、ネカフェに持ち込めないので駐輪場にしゃがんで早食い。
買い終えた勢いで快活クラブ南小泉店(若林区)へ。
仙台の繁華街から自転車で15分ほど走ると、あっという間に閑静な住宅街になっており、気持ちの良い夜風が吹いていた。
仙台に着いたはいいが、明日からどこに向かおうか。
秋の南東北自転車旅 2018/10/31 横浜〜春日部〜那須塩原
出発にあたり
これは2018年秋の話である。
当時大学4年生の私、11月のシルバーウィークのことである。
この時期は毎年大学の学園祭期間。
友達いない、サークル入っていない、就活一社もしてない(この後本当にしなくて大卒フリーターになった)、単位卒業できるか分からない(結局ギリギリ卒業するわけだが)、彼女は超遠距離(※当時アメリカ留学中)、ぼっち、お金ない、旅したい、限界
ということで、この時期は友達と海外旅行に行くInstagram投稿が増える時期だが、結局行き着いた先は1人でチャリ旅に出るしかなかった。
しかし、旅に出ようと思っていても、
準備だ、あれがないだ、動きたくないだ、寝たいだ、で結局7日ある連休の2日を無駄にしてしまったのだ。
そして今回はあろうことか、一番明るいライト CATEYE VOLT400をどこかに無くしてしまった。
これがないと暗い山の中、怖くて走れない(最近まで平気で夜の四国やら九州やら走っていたのに)とかわけの分からないこだわりを持ち出し、
ライト買い直すのにも高い、お金ない、の無限ループにハマるのだ。
結局、Amazon川で怪しい中国製のライトを購入。
これが意外に使えるではないか。
今まで使っていたライトの中で一番明るいし、
見た感じ問題ないのである。
怪しい連絡先まで。
五反田のピンクマンションの入口に貼ってそうな写真、
指名料無料。
中華製の怪しいライトが家に届くまでYouTubeをだらだらと漁り、
ようやく翌朝に行く気になったノダ、、、
出走・神奈川
結局ぐっすり寝てしまった、家を出たのは6時くらいだった。
家から自走するメリットは
・「どこから来たの?」という質問に対し、「 横浜です!」と言える。
輪行すると、どうしても嘘をつけなくて「横浜から〇〇まで輪行してそこからスタートしています。」という説明になってしまう。そのときのがっかりとした皆さんの表情を何度見たことか。
・忘れ物や故障に気がつきやすい。
自転車に乗れば、ライトその他忘れ物をしにくくなる。輪行だと現地に着いてから気が付いたりするのよね。
デメリットは、地元でこんな旅人の格好をしている人を自分以外見たことがないくらいか。
東京
川崎市を宮前区、高津区と東に行き、多摩川を渡って東京都世田谷区に。
なんの変哲もない二子玉川駅である。
通勤ラッシュの都内、旅に出る格好をして国道246号を走る姿は
まさに場違いという言葉がふさわしいのだろう。
思えば、東京の景色を写真に収める機会って、意外にないな。
渋谷区渋谷駅。
まだまだ日常的に通う活動圏内だ。
このブログは今まで田舎の景色を写真で紹介するのがメインに
なってきているが、逆に東京の景色を載せることに
果たして需要はあるのだろうか...。
国道246号 港区青山〜赤坂
浪人生の時、予備校が麹町にあったから、気分転換の運動に
よく走っていたなあ。
今ではすっかり都内まで自転車で行かなくなった。
国道246号は三宅坂で終点になり皇居を外周。
あとで調べれば、東北方面に行くなら、
横浜から西東京・所沢方面に行った方が
近かったらしい。
旅をしている時にビジネス街を通ってもなあ...テンション上がらないなあ。。。
ようやく国道起点の場所へ。
ここまでなんだかんだ30km以上あるから体力的に疲れている。
信号のストップ&ゴーに捕まって進まないし、
なにせ街全体が堅苦しくて、実はあまり好きじゃない。
国道4号線に入り、スカイツリーを横目に上野方面へ。段々と街の景色が下町感を出してくる。
2時間1500円というぼったくり駐車場、夜になると1泊100円。
情緒不安定かよ...とか意味わからないワードを発していた。
上野駅。
このイエローラインを跨いで車線変更する車は後を立たず、警察が頻繁に取り締まりを行うポイントでもある。
よくその様子をYouTubeで挙げられている。
しかし、あなたへのオススメに警察の取り締まり動画が出てくる人って、自分だけかもしれない。
足立区役所。
神奈川県民からしたら、多摩市よりも行く機会がない区である。
気のせいなのか分からないが、謎に幅寄せされる気もするし、
運転が荒い気もするし、申し訳ないが足立クオリティって感じだ。
埼玉
なんだかんだ3時間近く走り、もうすぐ埼玉県!すぐそこ埼玉県!
と思ったらまさかのここで自転車通行禁止。
勘弁してほしい。やはり日本の主要国道は自転車に厳しい。
禁止するなら代替案を出して欲しいというのは
日本の文化の多くに当てはまる。
埼玉県草加市に入ると、足立から一気に雰囲気が変わる。
トラックが高さを越えるのにも関わらず、橋桁に突っ込んで、はまっていた。
面白い人が多い街だ。
10分くらい見物してしまった。
性格が悪いのかもしれない。
県道49号線。
草加市に入るとママさん電チャリ暴走族が列をなす。
ここら辺の人は自転車は右側通行と思っているのか、何度も逆走おばさんと向かい合った。
街に草加せんべいの文字は一度も見当たらなかった。探せばあるんだろうけどね...
獨協大学。
だだっ広い大地にドーンっと構えるキャンパス。
学生はのびのびとした雰囲気だった。
学生も車道を逆走して通学していた。ここはアメリカの植民地なのかもしれない。
埼玉県に入った瞬間に見捨てられたあの国道4号線にようやく越谷(こしがや)市で合流。
越谷レイクタウンがあるくらいしかわからないなぁ....
恐ろしく周りに何もないし、車が100km/hほどでぶっ飛ばすな〜なんて思っていたら、
ここは郊外に設置された”新4号バイパス”であった。
え、4号に新も旧もあるのかよ!!と言った感じだが、1992年の時点ですでに設置されていたようだ。
↓
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/新4号国道
アンサイクロペディア「高速道路並みにスピードを出して走行できる。にもかかわらず、通行料は無料である。しかし、新4号にはDQNが多く出没しており、運転が荒いので事故も多いという。なぜDQNが多いかというと、彼らは車の改造にお金をかけすぎて、高速代をケチらざるを得なくなったからである。
調子に乗りすぎてスピードを出しすぎると、全自動記念写真撮影装置を作動させてしまい、使用料を請求される。」
まさにその通りで、ここを走るのはトラックか走り屋くらいで、
車の流れからして高速道路状態だった。
そしてさらばだ、歩道!!
気がつけば、もう栃木県がすぐそこに迫ってきている。
しかし、ここは郊外にかけられたバイパス道路、
周りには草しかないし、みんな90km/h以上で走っていて行きた心地がしないし、
なにせつまらない。
本当につまらない。
おまけに強い向かい風。
もうここを走るのはやめようと思った。
まーじつまらない。
まーじ。
中途半端な田舎さ。
山だ海だの田舎なら景色も楽しいんだけど、
ドデーンと平地が続く寂しさは何とも。
この先、新4号バイパスには側道に農道のような道ができ、しばらく走りやすくなる。
しかし周りは畑のみ。
他に見えるのは人材派遣「ランスタッド」の看板か、激安ラブホテルの看板のみ。
イバ〜〜ルルァキィ〜〜
ここは....
何もない
こんな景色である。
ここも東京都市圏内に入り(都心から50km)、通勤で東京に通う人も多いらしいが、さっきまであった高層ビル群はどこへ行ったのだろうか。
関東って、こんなに土地余っているんやで...
利根川〜トネリバー〜
茨城県古河(こが)市へ。
五霞(ごか)から古河(こが)って...
あれ...そういえば...
利根川を渡っていなかったのに、茨城県にはすでに入っていたな...
茨城県五霞町は利根川の埼玉寄りなのにも関わらず、茨城に入るという珍しい区間になっていた。
利根川の内側には南栗橋や久喜など、電車でよく見る終点地点が並ぶ。どれも埼玉県だ。
いきなり看板が性癖を語りだす。
JDが好きですっていうならまだまともなのかもしれない。
この辺女子大生どこにもいなさそうだけどな...
何も見るものがなさすぎて、ついに畑に植えられている作物が何なのかが気になりだす。レタスかなあ
今度は膝の関節が痛くなってきた。
今まで何度も長距離を漕いでいるはずなのだが、
こんなに痛くなるのは初めて。
青の看板には本日の目的地になるであろう
那須高原までの100km、そしてそのさきの福島も出てきた。
栃木県
こんなところで栃木県に入る。
小山市。
多分ここでちょうど横浜から100kmになっていたと思う。
妖怪みたいなのがたくさんいた(適当)
ちなみに、から傘小僧っていうらしい。
そしてここが栃木の小金井である。
JR上野東京ラインで「小金井行」に乗るともれなく東京都小金井市ではなくココに連れていかれる。
ちなみに小金井駅は栃木県下野市小金井に対し、武蔵小金井駅は東京都小金井市と、明らかに知名度が低そうな方が本家小金井駅を名乗っている
でた!!栃木の人は自動車教習所のことを自教って呼ぶ!!
ここに来て気づく。
この辺って、草原のところにデーンってそびえ立つ横長の看板が多いなってね。
景色が変わらない!!!うわああああああ
この墓地の向こう側には地域医療に徹した医学部、自治医科大学がある。
自治医大は各都道府県から約2名ずつを選抜し、卒業後は出身都道府県の医療施設で働くと学費が免除という変わったシステムを持つ医大だ。
道の駅 しもつけ
店内には栃木名物レモン牛乳が並んでいた。
道の駅にはでかいダルマがいるが、特に名産品とかではなくて安全祈願が目的だそう。
モニュメントだらけ
ド派手に事故っていた。
10歩くらい間違っていたら巻き込まれるんだろうなぁ
こちらの地域では有名なホームセンター”ジョイフル本田”
最初インターネットでこの名前を聞いた時、芸人の名前なのか、はたまた
九州のファミレス「ジョイフル」とカーディーラー「ホンダ」がくっついた謎の店舗かと思っていた。
多分横浜のららぽーとよりも広い敷地だ。
〜このブログをご覧の皆様〜
そろそろ飽きてきたでしょ?
走っている当の本人も飽きていたもん。
まず、この新4号線を選んだことがミスだったんだと思う。
まだ中心街を走る国道4号に行けばよかったのに、どういうわけか抜け出せなくなっていまったのだ。
おまけにはこの新4号線は宇都宮市街にもいかないということで流石にそれは、と
外れて宇都宮に向かった。
上三川町(かみのかわまち)。
ひたすら平坦で、乾いた大地の風が吹き荒れる。
栃木県の中心、宇都宮市。
あまり高層な建築物もなく、住宅と商業施設が半々だった。
宇都宮駅。駅舎は少し年季が入っているものだった。
栃木にも三井勢力である、ららぽーとの小型版、
ららスクエアが存在していた。
北関東という土地柄、暴力団追放ポスターは至る所にあった。
暴走族上がりが多いからか、そのまま暴力団に入る人も多いのだろう。
栃木にも響く「バーニラバニラ♪高収入♪」
なんと渋谷で見るようなトラックを改造したやつではなく、路線バスだった。
恐ろしいことに、隣を走るバスと見間違えるレベルだ。
宇都宮は決して大きな街ではなかった。
東京でいう、町田駅といい勝負だろう。
パルコやら東武百貨店やらあって、北関東最大を名乗るが、
建物が並ぶわりには人が少なく、どこの店も赤字なのでは...と心配になった。
ちなみにこの宇都宮パルコ、後々のブログで行方を追うことになることになるので
覚えておいていただきたい。
宇都宮 仁荒山神社。
宇都宮"最大"の繁華街 オリオン通り。
夕方でおそらく学生が多い時間なはず...
恐ろしいほどの自転車暴走族。
アーケードの中は緩やかな坂になっており、
中高生チャリが3行×3列の部隊を成し、
特攻してくるのだ。
オリオン自転車高速道路になりつつある。
彼らは決して、北関東にいがちなヤンキーではない。
銀縁メガネ癖っ毛の、いかにも東進衛星予備校で受験勉強をしてそうなヤツらが真面目な顔して特攻してくるのである。
“東進衛星暴走部隊”(皮肉にも彼らは東の方向に暴走していた)が駆け抜けると、
まるで過ぎ去った嵐のように、閑散としてしまうのである。
ちなみにこの近くにある大学は、宇都宮大学のみなのである。
国立大学の中でも人数が少ないからなのか
20代の若者はあまり見ない。
センター6割でも合格に届くそうなので、もしかしたら穴場国立大学ともいえるかもしれない。受験生の皆さん是非!
宇都宮の駅前は原付・二輪の通行が夜間禁止になっている。
これも暴走族とともに歩んできた痕跡か。
さあ、果たして宇都宮の観光スポットってどこなんだろうか?
まあしかし宇都宮に来たならば餃子を食べよう🥟、
宇都宮といえば味ん味んの餃子が有名なんだが、探す時間も気力もなく、
駅前の餃子屋で済ませてしまった。
宇都宮餃子館 健太餃子店
変わり種の餃子が多く、メニューを見た瞬間、高くね?と思ってしまうわけだが、
メニューの隅っこ書かれたスタンダードメニューは確か650円ぐらいで食べれたはず。
焦げ目しっかり。普通にうまい。
店員さんは中国人がほとんどなのだが、
東京にいる無言でお釣りを突き出すタイプではなく、お釣りを両手で包み込むように渡す、超おもてなし型であった。
そんなこんなで結局7時過ぎ、すっかり暗くなってしまった。
多分宇都宮に2時間くらいはいただろう。
駅から外れて国道4号線に出ると、相変わらずなにもない。
ロードサイド街もなく、ただ闇夜の大地に道路が直線上に敷かれるのみ。
おかげで車道は高速道路状態で、これなら東北自動車道もいらないのではと思った。
仕方なく歩道を走る。この国道4号は路肩が狭すぎる。
「さくら市」という看板は
とりあえず作りました感満載。
しまいには歩道もなくなる始末で、気分最悪。
結局県道306号に迂回した。
今日は、どこまで行けばいいのだろう...
この次の街が那須になるわけだが、
きっと気持ちいい温泉がたくさんあるんだろうな〜なんて
浮かれていた。
しかーしどこも閉まっていた。風呂なし決定。
全然温泉地じゃないやん!と
突っ込みたくなるのは、
温泉街はここから遥か東に進んだ、
山の上にあるからだそうだ。
確かに今日一度も山も峠も出てこなかったからな、、、
この付近はロードサイドが広がりマックやらニトリやらカインズホームやらが揃っているはずなんだが、
午後11時の時点で既にどこもやっていなかった。
目の前にはネットカフェがあるが、旅の初日にカネを払って寝るわけにはいかない。
道の駅 那須野が原博物館
国道から少し離れ、住宅街に入ったところになんと道の駅が。
ここは大きな公園になっていて、東屋の下にテントを張ってもバレなさそうなので、そこで寝ることにした。
危惧していたヤンキーや暴走族といった類は全くいなかったが、若者がスケボーの練習をしていて少しうるさかった。
風呂に入れなかった悔しさを胸に、トイレの洗面所で髪やら顔やらを濡らしたのだが、
外は5度とかになっていて、震えながら寝袋にくるまったのであった。
【後編】第12回干からびラン 美ヶ原高原〜諏訪〜浜松 2018/5/5~5/6
前編はこちらから🔽
- 美ヶ原高原トイレでお目覚め
- 霧ヶ峰高原
- 諏訪・茅野市街
- 杖突峠
- 高遠市街
- 分杭峠
- 大鹿村騒動記
- 地蔵峠 part.2
- 上村・遠山郷
- 兵越峠
- 静岡区間・天竜水窪
- (仮)ゴール 浜松駅
- ネカフェでの起床
- 閉会式
美ヶ原高原トイレでお目覚め
私は人権を失っていた。
トイレの便座に座るどころか汚いであろう床に寝転がっていた。
旅をしているときに、たまに
寝袋だけでもいけるんじゃね
と思うこともあったが、風を凌げるか否かの違いは
かなり大きいことを思い知った。
5/5 AM4:35(スタートから+22時間35分) 道の駅 美ヶ原高原美術館
トイレの中で飯を食って、暖をとるためにウォシュレットを無駄に使って、明るくなってきた頃には出ようと、準備体操していた。
まだ雪は降っている。驚くことに、外に放置していたドリンクボトルの水は凍ってしまい、ツララのようになっていた。
自販機でホットココアとオニオンスープを買ったけど、一向に体は温まらなかった。
トイレにしゃがみ仮眠しながら、
聴いていたラジオにはAqua Timezがゲスト出演していいた。
まさかこの数日後に解散を発表するとは。
ここから下り坂に入るはず。
いつも上り坂は遅くて、下り坂で追いつくタイプだから、
路面が凍結している恐れがある今回はかなり不利な状況だ。
長和町 県道464号 ビーナスライン
標高1959m
たしか去年もこのビーナスラインで凍えかけていた。
ビーナスライン。それは、
スロードライブ 四季折々の自然と一つになる場所。
だって。(ビーナスラインとは | ビーナスライン)
やかましいわ。凍死してそのまま土に秒で還れるレベルだわ。
AM4:56(+22:56) ビーナスライン 落合
ツイッターを見渡しても、#干からびラン で最後に投稿されているのは3時間前。
みんなどこで息をしているのだろうか。相方に電話をかけても返答なし。
少なくとも、4時間以上は休憩に使ってしまっているため、
約80km分の距離をロスしてしまう計算になる。
これは最下位も覚悟だな...
ただこの凍えてしまうような高原地帯で、夜間走行を見送った自分の判断は我ながら適切だな、と思った。
と、山をゆるゆる下っていると、道路脇の落ち葉に人間らしきものが転がっていたのである(※イメージ画像)。
なんとこの氷点下5度の地で、3人で仮眠をとっていたらしい。
「こいつ(後輩)がもう限界だっていうんで...」
落ち葉に埋もれながら、アルミ箔のエマージェンシーシートに包まっていた凍死者を発見。
体全身、感覚がないっす、って。
しかし忘れてはいけない。
私は暖かい便座の上で座りながら寝るという神的な発想に至ったわけだが、
そもそも歳2つ下の男に山の中で置いていかれたのだ。立場的に殺されかけている。
標高が下がっていくと、雪も降り止み、鳥のさえずりがクリアに響き渡る。
自分が最下位でないことを確認すると少し心に余裕ができた。
いやむしろビーナスラインを早朝に走れるのは運が良かったのかもしれない。
AM5:21(+23:21)ビーナスライン 扉峠
この美ヶ原・霧ヶ峰は長野県央地域を東西に分断させている山地だ。
東側には上田、小諸、佐久、軽井沢
長野県はでかい上に、いかに各地域間での移動が不便であるかが分かる。
山越えをするか、幹線道路で遠回りするかの選択を毎回迫られるのだろう。
美しい。
しかしなんということか、せっかく1900mの山から下ってきていたのに、
また上り坂がいくつもやってくるのである。
だいぶ降りてきたはずなのに、標高は1700m。
たった200mほどしか下れていない計算になる。
「山の天然きのこ汁」
この看板が数十メートル感覚でいくつも現れる。
一杯250円でペヤングの超大盛りが食べられるな...
と感じてしまうのは、きっと私がキノコを好物としていないからだろう。
むしろ、なめことかネバネバしたキノコは苦手。
にしても、この勾配である。
まだ景色が見えるだけマシだが、
夜中に下り坂であることを期待して来たら
絶望のあまりツイッターにポエムを10個くらい書いていたかもしれない。
絶景だ。
三峰茶屋。not三軒茶屋
この近くに、さっきのきのこ汁が飲める売店がある。
ちなみに水の出が不便で、トイレ利用は有料らしい。
朝の混じり気のない空気を吸い込みながら堪能する眼下に広がる山々たち。
誰も人がいないこの景色を独り占め。最高。
あまりにも美しくて、この写真はInstagramにも投稿した。
にしてもこの山はいつ終わるのだろうか。
下っては登り、下っては登り。
時々通る車がエンジンを吹かしながら登っているのでかなり
きつめの坂なんだと思う。
遠くに見える青いやつは...諏訪湖か??
君の名は。に登場する糸守湖のモデルとなった聖地として
最有力候補なのが、この諏訪湖。
標高差約1000m上空からみる景色は映画のシーンと少し似ていた。
AM6:30 (+24:30) 八島湿原
気温は3℃と表示されていたが、感覚が狂ってしまったらしく、
暑い暑いと独り言をつぶやいていた。
少しずつ標高も下がっていき、木々の種類、色が暖色に変わっていくのが分かる。
もうすぐ霧ヶ峰だな。
霧ヶ峰高原
き、り、が〜〜〜みね〜〜〜〜〜〜
明らかにスキー場であろうリフトが現れる。
Q.三菱電機ルームエアコンの名前「霧ヶ峰」の由来はなんですか?
A.長野県の霧ヶ峰高原から来ています。
夏なのに霧ケ峰高原の冷涼な気候が製品のイメージにピッタリという ことで”霧ケ峰”と命名したそうです。
この命名のおかげで、元の地名の知名度も上がり、諏訪市からは、同社に感謝状が送られたというエピソードがあるそうです。
(Yahoo!知恵袋より)
冷涼どころか冷凍庫レベルの寒さだが。
県道194号→県道40号
霧ヶ峰を通過すると突然の急な下り坂。
反対方面からちょいちょい美ヶ原に登りにくるロードバイクたちとすれ違うが、
挨拶する間もないほどの下り坂。
路面ガタガタ、ウインターグローブをしても手の感覚ないし、ブレーキ効かねぇ!!!
一瞬だけ見たスピードにはなんと、
71.4km/h (30kmオーバー、一発免許停止、10万円以下の罰金)
の数値が表示されていた...。
諏訪・茅野市街
AM7:27(+25:27) 上諏訪駅
さっきまでの景色はまるで幻だったかのように、
突然の国道20号、生活感溢れる市街地に出る。
電波を切っていたので、機内モードを解除すると、
2時間前(きのこ汁の看板にいたくらいで)に、すでにこの諏訪のファミレスで仮眠しているという通知が来た。
どんだけ先に行ってるねん。
ついにここで待ちわびていた酷道...国道152号様のお目見えである。
この半年前に、横浜から金沢まで行った時、
「ここ前回の干からびランで通った!!」と1人で喜んでいたのを思い出した。
この川原の芝生は、前回の干からびランで昼寝していたところ。
杖突峠
ここを左折すると杖突峠の始まりだ。
しばらくコンビニがなくなるため、セブンイレブンでサドルを調節がてら朝ごはん、そして朝寝をした。
幸いにも参加者が5人ほど朝ごはんを食べていた。
自分のことを見て第一声、
「また、置いていかれたんですかwww」
ぼくは膝から崩れ落ちた。
朝からペヤング超大盛りと親子丼を食べるという偉業を成し遂げて、杖突峠へ。
ここは小休憩とも言えるほど難易度の低い峠なのだ。
あれれれ、意外に参加者おるやん。
そんなにビリでもなかったみたい...。
しかし、
自分は標高1900mの山奥のトイレで、凍えながら仮眠をしていたが、
多くの人はこの諏訪、茅野市街のネカフェで意外にも快眠していたようだ。
そう、この後ろくに寝れなかった
私へのツケが回ってくるのだ。
前の集団について行ったら、あっさり杖突峠を攻略。
AM9:51(+27:51) 杖突峠 峠の茶屋
峠の茶屋から見る絶景パノラマはお約束。
奥に見えるのが諏訪湖。
前にいた広島大のチームと同じ場所で同じ写真を撮る。
彼らには力強いチームワークがあった。自分のチームとは違って。
土曜日の午前ともあって、たくさんのバイク乗りがミーティングを開いていた。
こんな時期でも桜が咲いていたりする。
写真を撮るだけ撮って、
急いで杖突峠を下る。
長野県はあちこちにソーラーパネルがある。
高遠市街
AM10:10 (+28:10) 伊那市高遠(たかとお)
こののどかで美しい町は、高遠城址公園の桜でも有名だ。
4月には桜祭りで賑わうが、意外にも東京の人は知らなかったりする。
東京からのアクセスが悪いからかな?
この時間がゆっくりと流れている感じが好きだ。
人もいないし、車もそんなに通らないけれど。
って思ったらこんなところでネズミ捕りしてやがる。
飛ばしそうな道だからと言って...このクソぉ....
リアルな人形だった。
「ポレポレの丘⇨」
どうやらお花畑らしい。
ポレポレとは、スワヒリ語でのんびり。
この高遠の街を最後に、150km以上コンビニもスーパーもまともに出てこない区間になる。
そんな時は決まって、ニシザワ高遠食彩館で弁当と食料を買い込み、
駐車場でしばらく寝るのだ。結局1時間近く休んでいた。
意外にも駐車場には参加者が多く溜まっていたが、
起きた時には誰もいなかった。
何回うたた寝しても眠気が覚めない。
ここからまだ3つの峠、200km以上の距離があるというのに、しんどい。
分杭峠
PM12:12(+30:12) 分杭峠登り始め
まずは分杭(ぶんくい)峠から攻める。
去年は逆側から登ってきたが、実はこちらから登ったほうが
斜度はかなりきついらしい。
高遠湖。
このダムはいつも、明るいシアンブルーをしていて、
水面を輝かしている。
美和湖。
高遠湖から三峰川(みぶがわ)に。
しばらくこの川ぞいに国道152号も走る。
いい感じの暖かさと、川の美しさに見とれてしまい、
今度はバス停で1時間寝てしまった。(なんでそうなる)
寝ても寝てもまぶたは開かないし、
体もこわばっていくばかり。
本当に綺麗なシアンブルーをしているんだけど、実は暴れ川で、昔から氾濫を繰り返すんだとか。綺麗な女性には要注意ね!!(黙れ)
分杭峠が本格的に始まると、急に胡散臭く、
「ゼロ磁場」だ
「パワースポット」だ
多用しだす。
って思ったけど、ネットで調べたらこのスーパーゼロ磁場丼、結構すごい丼ものらしい。
なぁ、バカにしてごめんな。。。今度食べにいくからな、許してくれな。。
後ろからホンダフィットがクラクションを鳴らしてきて、
んダァオラァ、ゼロ磁場DQNかと思いきや、
助手席からおじいさんが、饅頭を渡してきた。
あんた、すげえな、この山をずっと超えていくのか、
これでも食って頑張ってくれ!
と、言い残して去っていった。
ってことはあれ???
饅頭を渡すほどの余裕があるということは、
後ろには饅頭を渡す人がいなかった...
絶対ビリやん!!
確かに、スーパーで1時間、バス停でも1時間寝ている。
バカだ。。。
しかもここから分杭峠は本気を出す。
国道152号から酷道152号へと姿を変えていくのだ。。。
この分杭峠、一丁前に観光業で金を稼ぐスタイルで、
パワースポットである頂上には駐車場がなく、
麓に止めさせて有料のシャトルバスに乗せるタイプだった。
往復650円。
近くにはゼロ磁場の秘水とかいうただの水が350円/500mlで販売中!!
あぁ〜〜〜〜〜水s....
話を戻そう、勾配10%以上の登りが延々と続くのだ。
しかもカーブの先から車やバイクが次々と下ってきて怖い。
忘れてはいけないのは、これでも国道である。
ずっと浜松駅までこの国道を走り続けないといけないのである。
頂上はまだ現れない。
また伊那市に戻った。
この干からびランで学んだこと、峠にトンネルなど存在せず、
大人しくあの山の端まで大人しく登るしかないのである。
ほんと、ここまでやらせるんだからぁ〜〜〜
PM2:20(+32:20)分杭峠頂上
ここからゼロ磁場スポットまで約100m、登山道を歩いていかないといけない。
毎年、結局行く気力も、どうせ行っても感が邪魔をして、行かずじまいに終わる。
話しかけてきた人その1
彼はバイク乗りだった。
「バイクでも大変なのにここまで自転車で来るってすごいね〜〜。どこから走っているの?」
「上越から浜松までです!」
「まじやばいわ〜。若いってすごいね〜〜やべえわ〜〜。」
言葉が悪いけど絡み方が、男子校の窓際にいるようなソレだった。
「まじやばいわ〜〜。悪いんだけどさ、記念に写真いい?」
違和感を覚えながらも、
まぁ変わった人もいるもんだと思いながら
自転車と一緒にシャッターの向こう側に立った。
彼は鼻で笑った。
「違う、僕をだよ。疲れてるの?」
一瞬恥ずかしさを覚えながら彼のカメラでおっさんの写真を撮ってあげた。
疲れているのか?そんなはずないな。
読解の難易度的に少なくともセンター試験よりは難しいはずだ。
聞き間違えたとしても、なぜこのようなアプローチの仕方で私に写真を撮らせたのだろうか。
男子校の窓際にいたからだろうか。ソレともこれがゼロ磁場の力か。
話しかけてきた人その2
分杭峠の撮影を終えて、下ろうとしたら、勢いよく警備員が走ってきた。
真っ黒に焼けた肌、フサフサに生やした白髪の警備員おじいさんは、興奮しながら
「さっきからいっぱい自転車がくるんだよ〜〜お前もだろ〜〜〜あれだろ〜浜松まで行くんだろ〜〜〜もう30人くらい行っているから早く行かないと置いてかれるぞ〜〜〜」
やはり俺はビリなのか。
それよよりも大量の鼻毛が恐ろしく両穴からストレートに飛び出していて、
私は目のやり場に困った。これもゼロ磁場の力か。
そろそろ怒られそうだからやめておこう。
前のホンダフィットにくっつきながら下山。
ここから大鹿村にはいる。
油断しながら降りていると落石に引っかかりそうになる。
大鹿村騒動記
ヘリコプター警戒標識...???
この大鹿村では国内でも滅多に見ない「ヘリ注意」標識がおいてある。
調べて見ても、特に詳しいことは書いておらず、
”大鹿村にだけヘリの標識がある”
ことくらいしか分からない。
ヘリが来たらどう避ければいいのだろうか...。
大鹿村は日本で最も美しい村連合にも登録されており、自然豊かな田舎風景が広がる。
大河原村と鹿塩村が合併して大鹿村になったのだが、
1889年以降120年以上合併を経験していない。
・鹿塩村という名にもある通り、山なのに塩水が湧くスポットがある
・人の数より鹿の数の方が多いと言われている
・村内に高校がない
という超過疎地域だ。
最近はリニア新幹線を通す計画があり、村民は反対しているらしい。
PM3:00(+33:00) 道の駅 歌舞伎の里大鹿。
そんな大鹿村にもいつの間にか道の駅ができた。
この時は仮店舗での営業だったが、何も食べずトマトジュースだけ飲んだ。
ここの鹿料理、美味しいよ!
ここは南アルプスがひょっこりはんする場所で、毎回写真を撮るようにしている。
突然ですが、この長野で嫌と言うほど見てきた、日本共産党の
ながせ由紀子議員
の選挙ポスター。
この謎のダウンジャケットのなんとも言えない
着方よ。
気づけば長野県市街地からずっと見てきたのだが、
この大鹿村という過疎地だとより一層
この、ながせ由紀子のポスターが目立つ。
大鹿村の中心部を過ぎると、すぐに無人地帯になり、第二の地蔵峠(詳しくは前の記事参照)が始まる。
地蔵峠 part.2
何度、滝を見たことか。
東京で活動していると、全く実感できないが
意外にも日本はそこら中に温泉も滝もある。
ここから再び酷道のスタート。
路面は荒れ果て、幅は車一台通れる程度。
まじで誰もいねえよ.....
地味にキャンプ場も。
ゴールデンウィークにも関わらず、車は20分に一台通る程度だ。
休日に誰もいないような山でキャンプしたい人、
大鹿村においでよ。
ものすごい崩落っぷり。
ここに人は住めたもんじゃないだろう。
土砂がドシャーーーってなっている。
川原の方に何か動くものを発見。
何でしょう?
タヌキ??
にしてはブサイクだな....
アナグマじゃねえか!!初めて見た。
この区間は舗装が荒れたり、急に荒れたり、情緒不安定な状態が続く。
地蔵峠には、というかこの国道152号線には中央構造線が通っている。
地味に峠の区間が長かった。
写真にすると短く感じるが、この峠を登るのに1時間以上かかっていた気がする。
気がつけば高遠のスーパーから一度も参加者にも出会っていないし、ここに来て浜松に着いたとかいうトップチームの報告もLINEに入り、少しネガティブな感情が出ていた。
PM5:05(+35:05)地蔵峠 制覇。
一見簡単に制覇したかのように見えるが、
ブログで書くほどネタになるようなものもなく、正直なところ
この干からびラン自体に少し飽きが来てしまっている。
ちなみに相方とは朝以来連絡をとっていない。
今まで少し変わり種の桜が咲いてはいたものの、
この地蔵峠ではソメイヨシノがまだ、花を落としきった直後だった。
季節がバグってる...。ぼくが桜を最初に見たの3月の15日とかだったのに。
お地蔵さ〜〜ん
せっかくだから訪問。
ここから鬼面山という山への登山口が始まっていた。
たまには歩いて登山したい。
大鹿村を抜けて飯田市へ。
この辺は国道152号の迂回林道という扱いになる。
こんな過疎地域なのに、地質の説明プレートはこまめに設置されている。
しかもまだ最近置かれたような綺麗さ。
路!面!が!砂!利!
おいおい、一年前から全く変わらねえじゃねえか。
舗装する気ないな???
はよ舗装せい!
この厨二病が喜びそうなやつも相変わらずあった。
地蔵峠の頂上らしき看板を過ぎても、まだまだ上りが続く。
いつになったら下りが現れるのか。
景色は崖だらけ。
あの看板から約20分ほどは、なかなか下り坂にならず
妙なアップダウンが続いていた。
上村・遠山郷
と思えば、急な下り坂が現れ、一瞬にして上村(かみむら)という集落に降り立った。
あの橋桁は三遠南信自動車道の作りかけ。
この浜松〜長野の縦のラインに
高速道路を通そうとしたが、未だ計画が進まない。
日が落ちてきて寒い。
もう5時間以上参加者にあっておらず、流石に不安。
とにかく下り坂をぶっ飛ばす。
「廃校 木造校舎が 面白い」
この看板が3つくらい出てくる。
悔しいことに、少し面白そうと思ってしまった。
ちなみに、サカイ引越センターのCMのロケ地にもなった。
PM6:46(+36:46) 道の駅 遠山郷
最後の峠、兵越峠の手前にある道の駅。
ここで既に丸1日半が経過。
予想外なことに、この道の駅にも干からびランの参加者はいなかった。マジでビリかもしれん。
中には温泉もあるのだが、どうせまた汗をかくこと、入り浸りそうで手前の足湯で我慢した。
ここでリュックに入った全ての食料を胃に流し込み、ベンチで寝袋に包まりながら1時間ほどまたまた眠りに着いた。
順番はビリ覚悟だけど、少なくとも制限時間内には間に合う計算だ。
意外にもこの道の駅には旅行者が多く、
足湯では小学生ぐらいの
子供と初対面であろうおじさんたちが話していた。
「君は将来ビッグになりそうだな〜〜〜!!」
俺もそう言われたいと思いながら寝た。
兵越峠
PM9:26(+39:26) 起床 兵越峠 登り始め
目が覚めたら真っ暗。というか、3時間弱も寝てしまったwww
最悪だ。眠気だけは吹っ飛んだけど。
真っ暗な山の中を1人で行くのは完全なる誤算だった。
普通に怖い。
ここから再び国道不通区間。
青崩峠は地盤の弱さで道路を通すことができず、
兵越峠の林道に強制迂回させられる。
”あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退”
いくつか青崩峠を徒歩で行ってみたという記事を見かけるが、
写真を見ると遊歩道も崩れている。
悲しいことに、こういう怖いところに限って携帯の電波も入らないので、スピーカーからラジオをかけることもできない。さびしい。
暗闇から香ってくる獣の匂いに怯えながら、意味もなく首から下げてる笛を暴走族のようにコール切りしていた。
気のせいなのか、時折両脇から割と大きめの獣が動く気配がする。
鹿?イノシシ?クマ?
心霊現象よりも動物の方が怖い。
一時間半くらい登っていたと思う。
周りに認識できるものは、自分の自転車のライトに映るものしかなく、
人間らしき影(いたらいたで怖いけど)も、ほかの自転車らしき光も、
というか月も、何もなかった。
唯一、星だけが空いっぱいに広がっていた。
だんだんと登っていくうちに景色が段々開けてきたことに気づいた。
ここから青崩峠にも行けるのか。
毎回ここに来るのはすっかり冷え込んだ真夜中で、
木々の中にひっそり立つ看板たちが不気味な雰囲気を醸し出している。
道の駅まで12km、ここまで来るのに2時間弱かかっている。
静岡区間・天竜水窪
浜松という市は無理やり政令指定都市になってしまった感がすごくて、
こんな山奥でも浜松名乗り出す。
まだまだ浜松駅まで80km以上あるんすよ...
あった!!
毎年行われている静岡と長野の国盗り合戦。
綱引きで国境を決め、毎年この札が動いている。
ただいま長野県が3m勝利しているらしい。
国境。
行政的な意味をなすわけでもなく、あくまで一つの行事としてのものらしい。
兵越峠の林道を抜けると、国道152号は突然快走路に変わる。
ここから一気に下り坂。
標高1100mから海まで重力に任せるのみ。
干からびランも終盤だ。
草木トンネル。
この国道152号線自体をを三遠南信道にしようとした計画もあり、
高速道路のキロポスト表示が設置されている。
山の中を思いっきり下りきると、ようやくまともな街灯、人工物、民家が現れる。
5/6 AM0:00(+42:00) 水窪(みさくぼ)
住まだまだ浜松とは言い難い田舎だ。
まともな集落を見たのはいつぶりだろうか。
民家こそあるものの、この集落にもコンビニはない。
しかしようやくスマホの電波が安定し、
一安心。
しかし集落を過ぎれば再び森の中へ。。。
意外にもここから超緩めの下り坂になり(あと60km/標高差250m)、むしろ向かい風が強くてあまり進めなくなる。
と思いきや、あれ!?通行止めじゃないか。
主催からもなにも情報がなかったので慌てる。
どうやら国道152号線、災害の影響で土砂崩れを起こしていた。ひぇー。
※2018年10月に復旧しました。
回り道こそあるものの、やばそうな看板が。
「約30分お待ちいただきます」
おそらくこの先片側一方通行なんだろう、この集落を出るのに30分も停車して待たないといけないのか。陸の孤島かよ。
暗闇の中に煌々と輝く秋葉ダム。
県道285号線。非常に不気味な雰囲気だ。
天竜川のダムの水流の音だけが、響いていた。
時折、道端からタヌキが飛び出して来たりする。
実際に轢きかけてしまった。
1時間くらい道を走り続け、ようやく国道152号線に戻って来た。
AM2:14(+44:14) 船明ダム
このダムの近くに現れるのは、あの高遠から150kmぶりに現れるコンビニ。
やはり自転車は誰もいなかった。
AM2:23(+44:23)月まで3キロ
ナニコレ珍百景にも取り上げられた、
「月まで3キロ」
の青看板。
月こそ出ていなく残念だったが、アポロ11号でなくても浜松に行けば簡単に着陸できる。
実は走っているときにこの看板を写真で撮り忘れたことに気付き、
わざわざ往復5km戻った。
船明を過ぎると、再びまともな街灯が灯るようになり、暗い山林区間が終わる。
ここの境目って、相模原の相模湖あたりから、津久井〜橋本って段々景色が変わる感じかな。
神奈川県民にしか分からないネタだな。
AM2:43(+44:43) 浜北区
写真はブレブレだが、眠気は限界を越して、視界はまさにこんな感じ。
新東名 浜松浜北インターを抜けて、ひたすら直線道路を南下する。
浜北も、以前は浜北市という名前で、
まだまだ浜松とは言い難いのどかな風景だ。
いや、真っ暗だわな。
AM3:05(+45:05)浜松市東区
御殿場では待ち時間が5時間にもなるハンバーグレストラン「炭焼き さわやか」だが、
静岡県西部を中心に展開しているため、浜松市内にはかなり店舗がある。
この東区あたりから、ロードサイドは発展し、
近くには浜松医科大学、イオン、コストコ、スーパー銭湯など大型の施設が並びだし、浜松っぽくなる。
AM3:32(+45:32) 中区
流石に中心部まで来ると明るい。
そういえば...と言った感じで、
今日が浜松まつりであったことに気づく。
浜松まつりはGWに行われる、市をあげた大イベントで、
市民が全力で参加している感がすごい、かなり熱い祭りだ。
見慣れた景色(浜松には自転車、車、電車含め年に5回くらい来ている)、
ゴールまであと少しという安心感から、信号待ちをしているとそのまま寝落ちしてしまう。
あ、これやべえな、って思って、歩道に上がって信号を待っていると、
赤信号が3周していた。そのくらい眠気がやばい。
浜松有楽街が近づいて来ると、浜松まつりの余韻もまだ残っていて、
泥酔した若者の集団をちらほら見るようになる。
ちょいちょい、男女の中に、”エロ”が入っているのが垣間見える。
朝4時なのに、さすがは駅前、人も車も多い。
法被を来た人がこの時間でもまだ元気にはしゃいでいる。
渋谷のハロウィンのような、狭苦しいところで必死に目立とうとしているパリピとは違って、浜松のパリピは独特な開放感を感じる。
決して無理をしているわけでもなく、ただただ純粋に楽しんでいるような。
(仮)ゴール 浜松駅
AM4:00(+46:00) 浜松駅
ってなわけで46時間かけて上越市から浜松駅に到着!
実質のゴール地点である。
完走者はここで写真を撮り、LINEにて報告をする。
写真は浜松駅の広場の階段で酔っ払っていた熟年夫婦(?)を捕まえ、
相当飲んでいるのだろう、シャッターを何枚も押していた。
スマホを落とさないか不安だった。
34位/46人、完走者の中では下から8番目でした。
大学1年生の頃から長距離自転車旅行を始め、
この浜松駅で何度写真を撮っただろうか。
高校の頃、浜松の大学を目指していた自分にとって
何かしらの未練があるのかもしれない。
全然勉強しなかったけど。
駅前のすき家で牛丼を居眠りしながら食べ、
足取りふらつきながらもなんとか朝6時に
ネットカフェ ポパイに辿り着いた。
不幸なことにシャワーはなく、60時間以上風呂に入れていないカラダを拭く為に、ブース内で全裸になり必死に汗拭きシートで吹いた。
ネカフェでの起床
AM8:56 浜松駅
1時間半の睡眠で、集合場所の南区風車公園に向かう。
お気付きの通り、
まだ1人
相方は何処へ。
新浜松駅。遠鉄百貨店。
この百貨店や、アクトシティがある北口とは反対に、
南口には何もなく、シャッター商店街が広がる。
そこから海に南下していくわけだが、
南区に入れば住宅街も消えていき、更地が目立つようになる。
駅から数キロなのに、北と南で全然景色が違う。
閉会式
集合場所の中田島砂丘周辺では浜松まつりの片付け渋滞が起こっていた。
大型のトラックがたくさん出入りしている。
単なる砂浜なんだろうか、あとで行ってみよう。
ここか!風車公園...ってまんま風車がある北欧テイストな公園だった。
AM10:00(+52:00) 閉会式
閉会式。ここで相方との再会を果たす。
まるで1年ぶりにあったカップルかのように...w
謎の気まずさw
ゴールしたチーム順に干からびラン乾燥バッジを前に出てきて受け取り、
完走した乾燥者たちの感想を言うのだが、
私たちが前に出てきた途端、
「気まずそう...」
「仲悪いところだ...」
「置いていかれた人だ...」
「チーム協調性」
といった言葉が多方から飛び交った。
ちなみに最終的に相方に100km以上差をつけられていたみたいです!
100km離れていても、ぼくたちの絆は不滅だぞぉ。
乾燥者たち。
今回4人がリタイアし、91%の乾燥率!!
意外にみんな干からびていない??
428km。獲得標高は8200mUPだった。
干からびランバッジ。
一度解散した後、目の前の中田島砂丘へ。
でか!!!
そこらの砂浜だと思っていたらすごい規模。
砂丘という名の通り、一度丘に登ってから海に降りていく。
昨日の朝は氷点下だったのに、今日はめちゃくちゃ暑い。
砂に熱がこもり、足が火傷しかけていた。
タコもちょいちょい見かける。
昨日の浜松まつりではたくさんのタコで空が埋まるんだとか。
お風呂に入りたい。
どんなポーズなんだろうか。
各自好きに帰路につく。
いろんな地方から来ているので、西日本勢はみんなハンバーグを求めてさわやかに並んでいた。
少しブラブラしようかね。
日曜昼間の有楽街。
昨日の夜とは一変し、
こんな繁華街でも昼間は人が少なく、
みんな、ゆったりと歩いていた。
気がつけば相方は、いなくなっていた。
【前編】第12回干からびラン 上越〜長野〜美ヶ原高原 2018/5/4~5/5
序章 機材トラブル
毎年ゴールデンウィークに行われているイベント、干からびラン。
昨年2017年に初めて参加し、二年連続の出場になる。
干からびランとは、30人くらいの参加者が、新潟県の上越から静岡県の浜松の約450kmを、いくつものの山脈を越えながら超えてしまおう、という狂った企画だ。
制限時間以内に走破しなければならなく、まともに寝れない。
参加者はほぼ大学生で、理系学部が多い。
とにかく過酷で狂っているイベントなのでそこらのウェイ大学生は1人もいない。
ドMの集まりだ。
昨年は浜松からのスタートだったので、今年は上越から逆スタート。
浜松スタートを裏干からびと呼び、今回は表干からびランになる。
干からびランは、機材トラブルから始まる。
某大手D自転車にメンテナンスをお願いしたら、スプロケットのスペーサー(歯車と歯車の間の隙間を調整する輪っか)を一枚忘れた状態で渡される。
出発直前に発覚するも、すでに夜、営業時間外で詰む。
結局、北海道の釧路で出会った東工大のチャリダーがスペーサーを貸してくれるとのことで、車を飛ばして受け取った。
D自転車、まじで激おこだからな。(この後あまり悪びれる様子もなく、取りに来てくださいというクソ対応だった。出張修理サービスをやっている会社なのに、平気で取りに来いとかヘラヘラして言うんだぜ。)
上越市には朝の5時30分集合。
スペーサーがないとまともにギア変速ができず、こういう山岳中心のツーリングでは変速が命なのでほぼ走行不能。
たまたま北海道は釧路で出会った東工大の自転車のりと連絡がつき、夜中に車を飛ばして取りにいった。
ブツを受け取り、準備が完了した頃にはとっくに、新幹線を逃していた。。。
結局22歳にして、お父様、お父様、とこんな時だけ機嫌をとって、上信越道を北に進めてもらった。
新潟県に入ると、まさかの雨!!
出走開始から悪天候に見舞われるとは不幸な話だが、
参加者全員同じ条件下に置かれるだけ心強い。
スタート 新潟県上越市
今回は去年のゴール地点がスタート地点になる。
去年も朝に雨が降っている中集まった。
上越市は常に雨が降っているイメージである...。
やはりみんな前日から上越入りしていて、この近くにある銭湯 上越の湯に深夜泊して集まっていた。
この上越の湯、去年は実質のゴール地点に指定されていたのだが、なんと2018年の8月に閉店してしまっていた。
そもそもこの温浴施設、何度かテナントを変えてきたのだが、また閉店したのだ。
そんでまたテナント変わって、七福の湯 上越店に生まれ変わったそう。
今回の装備は中華サドルバック (大)、中華フロントバッグ、中華トップチューブバッグ、中華ドリンクホルダーというMade in CHINA装備。
これに加えてヒートテック、サイクルジャージ(夏用上下)、ゴアテックスレインウェア、シューズカバー、30Lバックパック、反射ベスト、ユニクロウルトラダウン、ビンディングシューズ、ダウン寝袋。
ライトにはVOLT200、VOLT400、閃、エコノムフォース。
去年の参加時から成長したことは、
・反射ベストが工事現場のおっさんからそれっぽいやつに進化
・寝袋のサイズが去年から1/4サイズになった
・登山用リュックから普通のバックパックになった
・飲み物が3本入るようになった
・ライトが山の中でも普通に走れるレベルにまでなった
簡単に言えば荷物がかなり減った。
「去年みたいにクソでかいリュック持ってこないんですかw」と聞かれたくらいなのだ。。。
なんてったって55Lの登山用のやつ使っていたからな。
AM6:00 開会式。
今回は去年と違ってOBなどもおらず、大学生のみの参加だった。
今年も女子参加者が1人。
チャリで日本横断することくらい女子大生でも気軽に参加できるので、興味のある暇な女子大生はエントリーしてみてほしい。
開会式は去年よりもサラッとしていて、すぐにみんな出走を始めた。
ここで今回のルートを紹介しよう。
・戸隠
・茶臼山
・美ヶ原高原
・霧ヶ峰
・杖突峠
・分杭峠
・兵越峠
をせめて、静岡県浜松市、中田島砂丘の風車公園で太平洋ゴールとなる。
今回は渋峠〜草津温泉が噴火通行止めの影響で代替ルートを使う。
去年と違い、高原地帯を上り下りさせられ、更には絶景ポイントがそこまでない。
なにせ雪が残る渋峠を拝めないのは辛い...。
県道579号を進む。
国道18号はしばらく自転車走行禁止なため地図を何回もチェックしながら走っていた。
地方都市のカラオケといえばまねきねこ。
カラオケ館もビッグエコーも地方主要都市の繁華街にしか展開していないそう。
信号がかなり多く、どれほど飛ばしても後続の集団に追いつかれるため、序盤は流し気味にすることに。
海から山に登っているため、徐々に上り坂になっていく。
AM6:51(+0:51) 上越妙高駅。
新幹線停車駅の周り何もないところの代表。
ここで国道18号と交差するもまだ自転車走行禁止。
国道292号〜県道584号線
北アルプスにはGWでもまだまだ雪は残っていた。
じわりじわりと上り坂が続く。
悲しいことにここからずっと山を登り続けないといけないのだ...。
海抜0メートルから700mまで
黒姫高原を目指して。
ここからは昨年と異なり新ルート。
海から約30kmほど内陸の方まできたが、住所はなぜだか妙高市と上越市を行ったり来たりする。
この内陸側の住所は” 上越市中郷区”という政令都市じゃないのに区が出てくるという謎現象が起こる。何言ってるか分かんねぇな。
地域自治区(対:行政区)といって、兵庫県姫路市や北海道せたな町のように合併してできた市を細分化するために作った区役所を持たない区らしい。
いや、そんなら合併しなくても良くない?
ちなみにこの辺が上越と妙高をいったりきたりするのは、中郷区が上越市の中で飛び地(四方八方を妙高市に囲まれている)だからだ。もう妙高市にしてもよくね。
ここでようやく国道18号の自転車走行が許されるようになる。
ここまであまり各チーム、差は広がっていないが、船見公園でダラダラしていたせいで、
後方集団に自分がいることが分かった。
標高が上がっていくうちに雨が土砂降りになっていくものの、
他チームの人と喋りながら走っていたのでそこまで苦痛には感じなかった。
そしてチームメイト(去年と同じ)はむしろ自分よりペースが落ち込んでいたので、ああ今年は自分の方が余裕があるな、と思っていた。
この時は。
ここで相方を紹介しよう。
そもそもこの干からびランは、同じ大学の人同士でチームを組むんだけど、僕は大学に友達がいないので、他大学2つ下の男が相方だ。
彼は元々六本木のとあるラジオ局による大学生コミュニティサークルで知り合ったんだけど、峠を登るのがかなり早い。
去年の干からびランでは長野の山奥(スズラン峠/白樺高原)で自分のことを約40km置いていった。今回はどれほど置いていかれるだろうか。
妙高高原・黒姫高原
ゴールデンウィークだっていうのに、気温は9度。
こないだまで半袖ポロシャツで過ごしていたというのに、現在全身防備中。
ちらほら青空は見えてきているのに、大雨。
景色が地方都市から高原リゾートに変わってきている。
特に目立つのは、
やたら頻繁に出てくる〇〇博物館・美術館の看板たち。
リゾート地に行くとよく、おもちゃ、ガラス、トリックアートがありがちだが、
野尻湖周辺で、何度も化石が発見されているからだ。
天気の変動が激しい。
さっきまで強烈に降っていた雨は上がり、いつの間にかジリジリと日差しが注いでいた。
しばしば通りかかるコンビニで、干からびランの参加者と思われる人たちが休憩しているのが見える。
この干からびラン、常に自分のチームが最下位なのではないかという不安に駆られながら走るため、
まだまだコンビニに自転車がたくさん停まっていると安心する上に、ここで差をつけなければと休むのを我慢して漕ぎ続ける。
そう、この干からびランは休憩と睡眠をいかに削るかが問われる
美しくカーブを描いた高架橋をゆるく登り
長野県突入
AM 8:32(+2:32)長野新潟県境
信濃町に入る。読み方は東京のしなのまちと一緒。
小中学生の時、何度もスキー合宿で連れてこられた場所。
小学生の頃って、観光バスで信濃町に来るまでに、バスレクリエーション(バスの中でやるお楽しみ企画)を考えなければならなかったり、スキーで疲れ切った体を叩き起こして百人一首大会を本気でやったりしたんだけど、
あの頃ってよくそこまでできたよな〜
そんなことを考えていた。バスの中で寝ていたら怒られるし、百人一首大会で負けたらクラス全員で悔し涙を流さないといけないし。
絶対にそんなこと今ではできないんだけど、教育従事者って歳を取っても決して手を抜かないから大変だと思う。
隣の橋は上信越道。
山を切り開けなかったのか、国道も高速も高架道路になっている。飛び降り自殺とかありそうで怖い。
でもこんな、橋の下に広がる集落とか見るの結構好き。
リアル村社会。
上越市を出てから上り坂は全く終わらない。
頻繁に出てくる登坂車線の標識にウンザリしてくる。。
くそ怪しい激安ラブホテル。
高架橋が終わり、斜度が緩くなると、周囲がガラッと開ける。
ナウマンゾウの像が現れたな、と思えば
ナウマンゾウ発掘地という交差点名だった。
AM9:06(+3:06) 黒姫駅周辺
すっかり天気も良くなって、相方を遠くに置いてきてしまったので、
ようやく1回目の休憩。
野尻湖に来てもなかなか休憩する場所が見つからなくて、やっと見つけた自販機でしばらく待っていた。
暇だから、いろんな人を撮ってみる。
スタートから約45km、標高700mの地点ではまだまだみんな
余裕の表情。
相方が戻って来たので再開。
白樺が増えてきたな〜なんて思っているのも束の間、
早速次の峠が現れる。
黒姫山。
さっきまで晴れていたはずなのにまた雨がポツポツと降り始める。
暑かったり寒かったりで、ウェアの着こなしが難しい。
戸隠
県道36号線。
渋峠に登れない分、難易度の調整で国道から外れた
激坂ルートが指定されていた。
これまでの登りはまだまだ序の口だった。
登り勾配10%とか平気で出てきたりする。
もう可愛くないんだからぁ...
車通りも全然ない白樺道にヒィヒィ言いながら
長野市に。
悲しいことに長野市はかなり範囲が広くて、市街地からこんな山奥にまで範囲は広がる。
困った...退屈すぎる...
気がつけばこの辺が戸隠(とがくし)エリアにいることを知る。
戸隠といえば、そば。
腹が減っていたが、食事に時間も金もかけたくない、干からびランだからね。観光ツーリングじゃないし。
でもこういう時に限ってコンビニがない。
更に最悪なことに、雹が降り出した。
気温は1度。ゴールデンウィークなのに。
しかし、旅館や蕎麦屋が立ち並ぶエリアに入ると、大渋滞。
AM10:40(+4:40) 戸隠神社。
周辺は大渋滞だった。
ずっと車で並んでいるときに
大勢の自転車集団が山から降りてくるのはどういう風に彼らからは見えるのだろうか。
が、山を下りきると観光地の景色はどこへやら。
急勾配の下り坂を猛スピードで下りていくと
地元の人しか使わないような道に出る。というか、地元のおばあちゃんたちに目で追われていた。こんな光景珍しいんだろうな、そりゃあ。
これでも県道から外れていないが、あまりにも分かりにくいため他のチームの人と
合ってるよね?
と確かめ合いながら走っていた。
地蔵峠 part.1
県道36→76→86
戸隠の山から降りてしばらくすると、また峠をのぼらなければならないことが判明。腹が減ってもどこにもコンビニは現れないし、とにかく寒いし、相方は全然いないし一回バス停の中で仮眠することにした。
さすがは雪国のバス停、なかには薄汚れた座布団がしかれていて、寝るにはちょうど良かった。
バス停の中で持ってきたハッピーターンをボリボリ食べていると、今度は土砂降りの雷雨に。
相方が来てからもしばらく雷は落ち続け、諦めて昼寝した。
PM12:52(+6:52) 起床
雷に打たれて死ぬくらいなら寝たほうがいいんだよ、きっと。
雨が上がると、再び山登りへ。
この車一台通るかぐらいのこの林道も、一応県道だ。
かなりキツい勾配を登りつつ、広がるのはおばあちゃん家の裏庭みたいな光景。
おじいちゃんが持っている裏山みたいな。
ちなみにここの県道は冬になると閉鎖されるらしい。
そもそもこの道を使う人は少ないが。
ムムム、景色がつまらない。
雨上がりの照り返しが暑いこと、携帯の電波が繋がらないこと、ただそれだけ。
PM1:34(+7:34) 地蔵峠(陣馬平山)
今回は代替ルートが設定されたことにより”地蔵峠”が2つ出てくる。
名前の通り山頂に地蔵が立っているだけで、達成感があるわけでもないが、峠の勾配は全く可愛くない。
絶景が広がっているわけでもなく。
あの石碑の近くにある小さいやつが地蔵なんだろう...
なんて見とれていると、道路に無数落ちている落石にハンドルを取られて転けそうになる訳だが、、、
まさに動体視力検査である。。。
峠を越えて、篠ノ井・七二会(なにあい)という地域に当たると突然文明の登場、国道18号線にぶつかるわけである。
これだけ腹が減っているのにも関わらず、上越を出てから一度もコンビニ休憩ができないというのはまさに拷問である。
野尻湖を過ぎてから一度もコンビニに出会わなかったし。
R18沿いのセブンイレブンに行くと、参加者がイートインスペースで揃って死亡しているのが確認された。
国道沿いなのでいろいろな県外ナンバーのミニバン家族がコンビニに寄っているが、大学生が揃いも揃って目を充血させながら大量死していたら子供の教育に良くなさそうだ。
「将来あんな人たちみたいになっちゃダメだよ」とか言われてそう。
長野教育熱心な地域多いし。
コンビニで大量死が確認される一方、
ツイッターでは長野駅まで遠回りし、戸隠そばを優雅に楽しんでいる参加者もいることが確認され更に萎えていた...
これが資本主義社会が生んだ格差である。
茶臼山
一度は国道18号線に出たものの、また県道86号線に来てしまう。
マジで主催者鬼だろ。国道走らせてほしい。
だうそじん。
古文の教科書でしか見たことないけど、いまだにあるんやな。
茶臼山は頂上に行けば畑だったり集落が広がっていた。
おそらくそんな対した標高の山ではなかったのだろう、近くには動物園もあった。
PM3:50(+9:50) 茶臼山山頂
アニメーション映画に出て来そうな景色。
下に広がるのが上田市中心部。
山と山の間の盆地に無数に存在する人工物が美しい。
茶臼山から下りるとき、この大きな街が段々自分の視界に近づいてくるのが気持ちよかった。
この山から自転車でおりる地元住民もそこそこいて、自分の他に二台のチャリンコが降りていた。
ママチャリのブレーキをギィィィっと鳴かせながら。
平坦区間 上田盆地
篠ノ井駅。
ここからしばらくは平坦な道が続き、距離を稼ぐポイントだ。
国道18号線へ。
お気付きの通り、この国道18号線は上越市からずっと続いている国道だ。
この道を通って行けばすんなりこの長野市までこれたはずなのに、
わざわざ遠回りをして、山を二度も三度も上り下りしてきたのである。
長野県の間は千曲川で、新潟に入ると信濃川になる
そんなことを小学校の授業で教えられた覚えがある。
って思っていたら千曲市に入った。
PM4:42(7:42) 長野道 更埴インター
坂城(さかき)町
〇〇郡〇〇町という住所って、田舎にありがちなイメージが多いけれど
意外にショッピングモールやロードサイド街が充実していたりする。
実は地方中心都市のベッドタウンになっていたりするんだよね。
むしろ平成の大合併で無理やり統合させられた、××市(旧〇〇村)みたいなところの方が手付かずの自然が残っていたりする。
長野なのに珍しく、ずっと平坦な道が続く。
路肩も広くて、追い風が吹いているので距離を稼ぎやすかった。
坂城町はバラの生産が盛ん。
主に切り花用だそうだ。
このとき、上田城が一体どんなもんなのか、流石に国道から見えるだろとか思っていた。
頭の中で千本桜(花見の時期には上田城千本桜まつりが行われる)が流れていたのを裏切るかのように、信号待ちでショックな出来事が。
わずかな時間に調べたwikipediaの情報にひどく落胆した。
東京という文字が変にプレッシャーをかけてくる。
この国道18号線は軽井沢を経由し、群馬の高崎から国道17号線で東京に行く。
しかし私たちが向かっているのは静岡の浜松。
この時点で浜松なんて文字は一切看板に出てこない。
それは長野から浜松に行くルートがマイナーofマイナーだからね。
ロードサイド街を漕ぎながら、”なんだか丸亀製麺がある気がする”って呟いていたら、案の定現れた。
これからコンビニ空白区間、深夜の山に突入するため、
丸亀で特盛のうどんと巨大なかき揚げを食べていた。
ツイッターで調べると、各チームかなりの距離の差が開いていた。
前の集団はすでにこの先にある標高2000m級の山 美ヶ原を越え、諏訪湖にまできていると言う。
地獄の美ヶ原高原
うどんを食べ終わった頃にはすでに日は暮れていた。
国道152号線。この国道は上田市から浜松市にまで続いているためこの道をまっすぐ行けば最短でゴールできる。
けれど干からびランはそんな甘いもんじゃない。
ここから地獄が始まるのだ。
あ、そう言えば長野県のガソリンはクソみたいに高かった。
やっぱり海から遠いと値段上がるみたい。
県道62号。ここから美ヶ原(うつくしがはら)高原に向けてひたすら登るのだ。
ここが最後のコンビニ。カップ麺とレッドブルを体にぶち込んで...
駐車場で横になって寝ていた。
なんだかんだ今日夜通しオール状態だったからな。
目は真っ赤に充血し意識が飛びかけていた。
PM8:48(+14:48) 上田市武石入口
1時間くらい寝て(?)凍えながらようやく出発。
こんな時間に、自転車は皆無なのはもちろん、車の数も30分に一回見るか見ないかだった。
こんなに真っ暗なのに、時々温泉旅館の微妙なイルミネーションが不気味に照らしていたりする。
ぼくは眠気と寒さと体のだるさで、体力が消えかかっていたから、相方を必死に説得していた。
「やっぱり体力温存するためにゆっくり漕ごうな」
「去年の干からびランってさ...」
そう全てはコイツに置いていかれないように。
2つ下の男に置いて行かれないように必死に話しかける俺。プライドのクソもない。
というか、そもそもこのイベント、単独走行は主催者から禁止されている。
お前も人のこと言えねーじゃねーか!なんて声が出てきそうだが、一応常識の範囲内で定期的に待機しているし。。。
そんなことを考えていくうちに、あれ、
💫去年の悪夢の再来💫
隣にいたやつはグイグイペダルを回しにいく。
一方ぼくは、全く足が動かない。
おかしい。
段々と彼のテールランプが、暗闇の中に消えていった。。。。。。
PM10:08(+16:08) 美ヶ原高原入口 武石観光センター
巣栗渓谷・武石観光センターで左折をして県道464号線に入る。
夜の闇に入っていった彼は予想通りここで待っているわけでもなく、どこにも自転車の灯りらしきものはなかった。
道を間違えたのでは、という心配も募るも、電波は通じず連絡手段はない。
待てば待つほど引き離される可能性もある。
上田駅から600mほど登った標高1094mの地点で一度休ませてくれるかと思いきや、
ここが山道の入り口に過ぎず、ただただ途方に暮れていた。
休みたくても休めない
そんな状況である。
道路の両端は腐葉土、どこにも人工物はなく、自転車を立てかける場所もない。
斜度は先ほどのレベルとは比じゃなく、押して歩くにもアキレス腱を痛みつけられる。
おまけに風がビュービュー吹いていて、呼吸さえ苦しい。
道路の途中の温度計は1℃を指していた。
いや、ゴールデンウィークやぞ。
美ヶ原まで6kmという文字に安心するも、
いや自分が進んでいる速度がそもそも5km/hとかなのである。
漕げば、体全身の筋肉が攣りそうになるし、
降りて歩けば体全身が冷えていく。
スピーカーでラジオを流しても途中で電波が死んで無音になる(ならまだ最初から無音の方が楽)し、
寂しくなって彼女にかけてみるも、同じく何度も切れることにむしろ苛立ってしまった。逆効果。
諦めてitunesをアルバムごと再生にして、時間をなるべく忘れることにした。
ここまで標高が高いと動物の気配もないし、心霊現象が起きる気配も寒過ぎてないのである。
幽霊、寒すぎて死ぬ説。
怖いのは この猛烈な寒さ、強い風、果てしない暗闇、何もなさ過ぎて下界が間近に広がる高所恐怖的なやつ。
不思議だよね〜俺、いつもこの時間バリバリ バイトしているのに。
ちょっと長野の山に来れば怖くておうちに帰りたくなる。
ウルトラダウンジャケットの上にゴアテックスを着て、スキー用手袋をつけても風が強くて寒い。
結局この美ヶ原の山を登るのに4時間費やしてしまい、
深夜の1時になっていた。
上田の街は夜になると流石に暗い。
AM12:51(+18:51) 道の駅 美ヶ原高原美術館
頂上に行くと道の駅があるという情報はあったのでそこの屋根があるところに寝袋でも敷いて寝ようとか考えていた。
っていうか、流石に相方もそこで待っているんだろう。
誰もいなかった。
屈辱的だよ、相方どころかどこを探してもチャリンコなんていない。
そして休もうと思っても風をしのげるところなんてどこにもないんだぜ。立派な美術館はあるくせに。
なんて残酷なんだ、この世の中は。
結局寒さを凌げるところなんてトイレしかないわけで、トイレの個室に即座避難した。
本当に死んじゃうよ...死んじゃうよ...
トイレに目をつぶりながら温かい便座に1時間座っていた。
熊の子見ていた 干からびラン
浜松ついた子 一等賞
美ヶ原で また明日 また明日
いいな いいな 人間っていいな
1人で寂しく 自転車競争
あったかい便座で 眠るんだろな
僕も帰ろう おうちがないよ
絶賛 凍え死んで bye bye bye
きっとこの先の仮眠場所をどこかで探すべきなんだろう、
そう考えた自分はトイレの大便器個室の中で準備運動をし、
意を決して外に出た...!!!
扉の向こう側
吹雪
吹雪
5月ですよね...???
まぎれもない、氷の結晶が空から強風とともに運ばれてくるではないか。
こんな天気で走ったら滑って暗闇の深くに葬られてしまう。
すぐに元のあったかい便座に戻り、
足が痺れるのを覚悟で3時間くらい居座った。
そう言えば前回の干からびランも白樺湖(同じ山脈のところ)の多目的トイレで寝ているじゃないか。マジでビーナスライントラウマだわ。
二回連続、一番立ち止まってはいけない場所で夜を明かす。
あったかいウォシュレット便座(まじで日本のトイレって神だよな)で
ホッと一息つき、いつも聴いている金曜日の深夜のラジオ(やまだひさしのラジアンF)をつけながら、
自分を置き去りにした相方に10回くらい着信を入れておいたのであった。
後編に続く。