秋の南東北自転車旅 2018/10/31 横浜〜春日部〜那須塩原
出発にあたり
これは2018年秋の話である。
当時大学4年生の私、11月のシルバーウィークのことである。
この時期は毎年大学の学園祭期間。
友達いない、サークル入っていない、就活一社もしてない(この後本当にしなくて大卒フリーターになった)、単位卒業できるか分からない(結局ギリギリ卒業するわけだが)、彼女は超遠距離(※当時アメリカ留学中)、ぼっち、お金ない、旅したい、限界
ということで、この時期は友達と海外旅行に行くInstagram投稿が増える時期だが、結局行き着いた先は1人でチャリ旅に出るしかなかった。
しかし、旅に出ようと思っていても、
準備だ、あれがないだ、動きたくないだ、寝たいだ、で結局7日ある連休の2日を無駄にしてしまったのだ。
そして今回はあろうことか、一番明るいライト CATEYE VOLT400をどこかに無くしてしまった。
これがないと暗い山の中、怖くて走れない(最近まで平気で夜の四国やら九州やら走っていたのに)とかわけの分からないこだわりを持ち出し、
ライト買い直すのにも高い、お金ない、の無限ループにハマるのだ。
結局、Amazon川で怪しい中国製のライトを購入。
これが意外に使えるではないか。
今まで使っていたライトの中で一番明るいし、
見た感じ問題ないのである。
怪しい連絡先まで。
五反田のピンクマンションの入口に貼ってそうな写真、
指名料無料。
中華製の怪しいライトが家に届くまでYouTubeをだらだらと漁り、
ようやく翌朝に行く気になったノダ、、、
出走・神奈川
結局ぐっすり寝てしまった、家を出たのは6時くらいだった。
家から自走するメリットは
・「どこから来たの?」という質問に対し、「 横浜です!」と言える。
輪行すると、どうしても嘘をつけなくて「横浜から〇〇まで輪行してそこからスタートしています。」という説明になってしまう。そのときのがっかりとした皆さんの表情を何度見たことか。
・忘れ物や故障に気がつきやすい。
自転車に乗れば、ライトその他忘れ物をしにくくなる。輪行だと現地に着いてから気が付いたりするのよね。
デメリットは、地元でこんな旅人の格好をしている人を自分以外見たことがないくらいか。
東京
川崎市を宮前区、高津区と東に行き、多摩川を渡って東京都世田谷区に。
なんの変哲もない二子玉川駅である。
通勤ラッシュの都内、旅に出る格好をして国道246号を走る姿は
まさに場違いという言葉がふさわしいのだろう。
思えば、東京の景色を写真に収める機会って、意外にないな。
渋谷区渋谷駅。
まだまだ日常的に通う活動圏内だ。
このブログは今まで田舎の景色を写真で紹介するのがメインに
なってきているが、逆に東京の景色を載せることに
果たして需要はあるのだろうか...。
国道246号 港区青山〜赤坂
浪人生の時、予備校が麹町にあったから、気分転換の運動に
よく走っていたなあ。
今ではすっかり都内まで自転車で行かなくなった。
国道246号は三宅坂で終点になり皇居を外周。
あとで調べれば、東北方面に行くなら、
横浜から西東京・所沢方面に行った方が
近かったらしい。
旅をしている時にビジネス街を通ってもなあ...テンション上がらないなあ。。。
ようやく国道起点の場所へ。
ここまでなんだかんだ30km以上あるから体力的に疲れている。
信号のストップ&ゴーに捕まって進まないし、
なにせ街全体が堅苦しくて、実はあまり好きじゃない。
国道4号線に入り、スカイツリーを横目に上野方面へ。段々と街の景色が下町感を出してくる。
2時間1500円というぼったくり駐車場、夜になると1泊100円。
情緒不安定かよ...とか意味わからないワードを発していた。
上野駅。
このイエローラインを跨いで車線変更する車は後を立たず、警察が頻繁に取り締まりを行うポイントでもある。
よくその様子をYouTubeで挙げられている。
しかし、あなたへのオススメに警察の取り締まり動画が出てくる人って、自分だけかもしれない。
足立区役所。
神奈川県民からしたら、多摩市よりも行く機会がない区である。
気のせいなのか分からないが、謎に幅寄せされる気もするし、
運転が荒い気もするし、申し訳ないが足立クオリティって感じだ。
埼玉
なんだかんだ3時間近く走り、もうすぐ埼玉県!すぐそこ埼玉県!
と思ったらまさかのここで自転車通行禁止。
勘弁してほしい。やはり日本の主要国道は自転車に厳しい。
禁止するなら代替案を出して欲しいというのは
日本の文化の多くに当てはまる。
埼玉県草加市に入ると、足立から一気に雰囲気が変わる。
トラックが高さを越えるのにも関わらず、橋桁に突っ込んで、はまっていた。
面白い人が多い街だ。
10分くらい見物してしまった。
性格が悪いのかもしれない。
県道49号線。
草加市に入るとママさん電チャリ暴走族が列をなす。
ここら辺の人は自転車は右側通行と思っているのか、何度も逆走おばさんと向かい合った。
街に草加せんべいの文字は一度も見当たらなかった。探せばあるんだろうけどね...
獨協大学。
だだっ広い大地にドーンっと構えるキャンパス。
学生はのびのびとした雰囲気だった。
学生も車道を逆走して通学していた。ここはアメリカの植民地なのかもしれない。
埼玉県に入った瞬間に見捨てられたあの国道4号線にようやく越谷(こしがや)市で合流。
越谷レイクタウンがあるくらいしかわからないなぁ....
恐ろしく周りに何もないし、車が100km/hほどでぶっ飛ばすな〜なんて思っていたら、
ここは郊外に設置された”新4号バイパス”であった。
え、4号に新も旧もあるのかよ!!と言った感じだが、1992年の時点ですでに設置されていたようだ。
↓
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/新4号国道
アンサイクロペディア「高速道路並みにスピードを出して走行できる。にもかかわらず、通行料は無料である。しかし、新4号にはDQNが多く出没しており、運転が荒いので事故も多いという。なぜDQNが多いかというと、彼らは車の改造にお金をかけすぎて、高速代をケチらざるを得なくなったからである。
調子に乗りすぎてスピードを出しすぎると、全自動記念写真撮影装置を作動させてしまい、使用料を請求される。」
まさにその通りで、ここを走るのはトラックか走り屋くらいで、
車の流れからして高速道路状態だった。
そしてさらばだ、歩道!!
気がつけば、もう栃木県がすぐそこに迫ってきている。
しかし、ここは郊外にかけられたバイパス道路、
周りには草しかないし、みんな90km/h以上で走っていて行きた心地がしないし、
なにせつまらない。
本当につまらない。
おまけに強い向かい風。
もうここを走るのはやめようと思った。
まーじつまらない。
まーじ。
中途半端な田舎さ。
山だ海だの田舎なら景色も楽しいんだけど、
ドデーンと平地が続く寂しさは何とも。
この先、新4号バイパスには側道に農道のような道ができ、しばらく走りやすくなる。
しかし周りは畑のみ。
他に見えるのは人材派遣「ランスタッド」の看板か、激安ラブホテルの看板のみ。
イバ〜〜ルルァキィ〜〜
ここは....
何もない
こんな景色である。
ここも東京都市圏内に入り(都心から50km)、通勤で東京に通う人も多いらしいが、さっきまであった高層ビル群はどこへ行ったのだろうか。
関東って、こんなに土地余っているんやで...
利根川〜トネリバー〜
茨城県古河(こが)市へ。
五霞(ごか)から古河(こが)って...
あれ...そういえば...
利根川を渡っていなかったのに、茨城県にはすでに入っていたな...
茨城県五霞町は利根川の埼玉寄りなのにも関わらず、茨城に入るという珍しい区間になっていた。
利根川の内側には南栗橋や久喜など、電車でよく見る終点地点が並ぶ。どれも埼玉県だ。
いきなり看板が性癖を語りだす。
JDが好きですっていうならまだまともなのかもしれない。
この辺女子大生どこにもいなさそうだけどな...
何も見るものがなさすぎて、ついに畑に植えられている作物が何なのかが気になりだす。レタスかなあ
今度は膝の関節が痛くなってきた。
今まで何度も長距離を漕いでいるはずなのだが、
こんなに痛くなるのは初めて。
青の看板には本日の目的地になるであろう
那須高原までの100km、そしてそのさきの福島も出てきた。
栃木県
こんなところで栃木県に入る。
小山市。
多分ここでちょうど横浜から100kmになっていたと思う。
妖怪みたいなのがたくさんいた(適当)
ちなみに、から傘小僧っていうらしい。
そしてここが栃木の小金井である。
JR上野東京ラインで「小金井行」に乗るともれなく東京都小金井市ではなくココに連れていかれる。
ちなみに小金井駅は栃木県下野市小金井に対し、武蔵小金井駅は東京都小金井市と、明らかに知名度が低そうな方が本家小金井駅を名乗っている
でた!!栃木の人は自動車教習所のことを自教って呼ぶ!!
ここに来て気づく。
この辺って、草原のところにデーンってそびえ立つ横長の看板が多いなってね。
景色が変わらない!!!うわああああああ
この墓地の向こう側には地域医療に徹した医学部、自治医科大学がある。
自治医大は各都道府県から約2名ずつを選抜し、卒業後は出身都道府県の医療施設で働くと学費が免除という変わったシステムを持つ医大だ。
道の駅 しもつけ
店内には栃木名物レモン牛乳が並んでいた。
道の駅にはでかいダルマがいるが、特に名産品とかではなくて安全祈願が目的だそう。
モニュメントだらけ
ド派手に事故っていた。
10歩くらい間違っていたら巻き込まれるんだろうなぁ
こちらの地域では有名なホームセンター”ジョイフル本田”
最初インターネットでこの名前を聞いた時、芸人の名前なのか、はたまた
九州のファミレス「ジョイフル」とカーディーラー「ホンダ」がくっついた謎の店舗かと思っていた。
多分横浜のららぽーとよりも広い敷地だ。
〜このブログをご覧の皆様〜
そろそろ飽きてきたでしょ?
走っている当の本人も飽きていたもん。
まず、この新4号線を選んだことがミスだったんだと思う。
まだ中心街を走る国道4号に行けばよかったのに、どういうわけか抜け出せなくなっていまったのだ。
おまけにはこの新4号線は宇都宮市街にもいかないということで流石にそれは、と
外れて宇都宮に向かった。
上三川町(かみのかわまち)。
ひたすら平坦で、乾いた大地の風が吹き荒れる。
栃木県の中心、宇都宮市。
あまり高層な建築物もなく、住宅と商業施設が半々だった。
宇都宮駅。駅舎は少し年季が入っているものだった。
栃木にも三井勢力である、ららぽーとの小型版、
ららスクエアが存在していた。
北関東という土地柄、暴力団追放ポスターは至る所にあった。
暴走族上がりが多いからか、そのまま暴力団に入る人も多いのだろう。
栃木にも響く「バーニラバニラ♪高収入♪」
なんと渋谷で見るようなトラックを改造したやつではなく、路線バスだった。
恐ろしいことに、隣を走るバスと見間違えるレベルだ。
宇都宮は決して大きな街ではなかった。
東京でいう、町田駅といい勝負だろう。
パルコやら東武百貨店やらあって、北関東最大を名乗るが、
建物が並ぶわりには人が少なく、どこの店も赤字なのでは...と心配になった。
ちなみにこの宇都宮パルコ、後々のブログで行方を追うことになることになるので
覚えておいていただきたい。
宇都宮 仁荒山神社。
宇都宮"最大"の繁華街 オリオン通り。
夕方でおそらく学生が多い時間なはず...
恐ろしいほどの自転車暴走族。
アーケードの中は緩やかな坂になっており、
中高生チャリが3行×3列の部隊を成し、
特攻してくるのだ。
オリオン自転車高速道路になりつつある。
彼らは決して、北関東にいがちなヤンキーではない。
銀縁メガネ癖っ毛の、いかにも東進衛星予備校で受験勉強をしてそうなヤツらが真面目な顔して特攻してくるのである。
“東進衛星暴走部隊”(皮肉にも彼らは東の方向に暴走していた)が駆け抜けると、
まるで過ぎ去った嵐のように、閑散としてしまうのである。
ちなみにこの近くにある大学は、宇都宮大学のみなのである。
国立大学の中でも人数が少ないからなのか
20代の若者はあまり見ない。
センター6割でも合格に届くそうなので、もしかしたら穴場国立大学ともいえるかもしれない。受験生の皆さん是非!
宇都宮の駅前は原付・二輪の通行が夜間禁止になっている。
これも暴走族とともに歩んできた痕跡か。
さあ、果たして宇都宮の観光スポットってどこなんだろうか?
まあしかし宇都宮に来たならば餃子を食べよう🥟、
宇都宮といえば味ん味んの餃子が有名なんだが、探す時間も気力もなく、
駅前の餃子屋で済ませてしまった。
宇都宮餃子館 健太餃子店
変わり種の餃子が多く、メニューを見た瞬間、高くね?と思ってしまうわけだが、
メニューの隅っこ書かれたスタンダードメニューは確か650円ぐらいで食べれたはず。
焦げ目しっかり。普通にうまい。
店員さんは中国人がほとんどなのだが、
東京にいる無言でお釣りを突き出すタイプではなく、お釣りを両手で包み込むように渡す、超おもてなし型であった。
そんなこんなで結局7時過ぎ、すっかり暗くなってしまった。
多分宇都宮に2時間くらいはいただろう。
駅から外れて国道4号線に出ると、相変わらずなにもない。
ロードサイド街もなく、ただ闇夜の大地に道路が直線上に敷かれるのみ。
おかげで車道は高速道路状態で、これなら東北自動車道もいらないのではと思った。
仕方なく歩道を走る。この国道4号は路肩が狭すぎる。
「さくら市」という看板は
とりあえず作りました感満載。
しまいには歩道もなくなる始末で、気分最悪。
結局県道306号に迂回した。
今日は、どこまで行けばいいのだろう...
この次の街が那須になるわけだが、
きっと気持ちいい温泉がたくさんあるんだろうな〜なんて
浮かれていた。
しかーしどこも閉まっていた。風呂なし決定。
全然温泉地じゃないやん!と
突っ込みたくなるのは、
温泉街はここから遥か東に進んだ、
山の上にあるからだそうだ。
確かに今日一度も山も峠も出てこなかったからな、、、
この付近はロードサイドが広がりマックやらニトリやらカインズホームやらが揃っているはずなんだが、
午後11時の時点で既にどこもやっていなかった。
目の前にはネットカフェがあるが、旅の初日にカネを払って寝るわけにはいかない。
道の駅 那須野が原博物館
国道から少し離れ、住宅街に入ったところになんと道の駅が。
ここは大きな公園になっていて、東屋の下にテントを張ってもバレなさそうなので、そこで寝ることにした。
危惧していたヤンキーや暴走族といった類は全くいなかったが、若者がスケボーの練習をしていて少しうるさかった。
風呂に入れなかった悔しさを胸に、トイレの洗面所で髪やら顔やらを濡らしたのだが、
外は5度とかになっていて、震えながら寝袋にくるまったのであった。