【後編】第12回干からびラン 美ヶ原高原〜諏訪〜浜松 2018/5/5~5/6
前編はこちらから🔽
- 美ヶ原高原トイレでお目覚め
- 霧ヶ峰高原
- 諏訪・茅野市街
- 杖突峠
- 高遠市街
- 分杭峠
- 大鹿村騒動記
- 地蔵峠 part.2
- 上村・遠山郷
- 兵越峠
- 静岡区間・天竜水窪
- (仮)ゴール 浜松駅
- ネカフェでの起床
- 閉会式
美ヶ原高原トイレでお目覚め
私は人権を失っていた。
トイレの便座に座るどころか汚いであろう床に寝転がっていた。
旅をしているときに、たまに
寝袋だけでもいけるんじゃね
と思うこともあったが、風を凌げるか否かの違いは
かなり大きいことを思い知った。
5/5 AM4:35(スタートから+22時間35分) 道の駅 美ヶ原高原美術館
トイレの中で飯を食って、暖をとるためにウォシュレットを無駄に使って、明るくなってきた頃には出ようと、準備体操していた。
まだ雪は降っている。驚くことに、外に放置していたドリンクボトルの水は凍ってしまい、ツララのようになっていた。
自販機でホットココアとオニオンスープを買ったけど、一向に体は温まらなかった。
トイレにしゃがみ仮眠しながら、
聴いていたラジオにはAqua Timezがゲスト出演していいた。
まさかこの数日後に解散を発表するとは。
ここから下り坂に入るはず。
いつも上り坂は遅くて、下り坂で追いつくタイプだから、
路面が凍結している恐れがある今回はかなり不利な状況だ。
長和町 県道464号 ビーナスライン
標高1959m
たしか去年もこのビーナスラインで凍えかけていた。
ビーナスライン。それは、
スロードライブ 四季折々の自然と一つになる場所。
だって。(ビーナスラインとは | ビーナスライン)
やかましいわ。凍死してそのまま土に秒で還れるレベルだわ。
AM4:56(+22:56) ビーナスライン 落合
ツイッターを見渡しても、#干からびラン で最後に投稿されているのは3時間前。
みんなどこで息をしているのだろうか。相方に電話をかけても返答なし。
少なくとも、4時間以上は休憩に使ってしまっているため、
約80km分の距離をロスしてしまう計算になる。
これは最下位も覚悟だな...
ただこの凍えてしまうような高原地帯で、夜間走行を見送った自分の判断は我ながら適切だな、と思った。
と、山をゆるゆる下っていると、道路脇の落ち葉に人間らしきものが転がっていたのである(※イメージ画像)。
なんとこの氷点下5度の地で、3人で仮眠をとっていたらしい。
「こいつ(後輩)がもう限界だっていうんで...」
落ち葉に埋もれながら、アルミ箔のエマージェンシーシートに包まっていた凍死者を発見。
体全身、感覚がないっす、って。
しかし忘れてはいけない。
私は暖かい便座の上で座りながら寝るという神的な発想に至ったわけだが、
そもそも歳2つ下の男に山の中で置いていかれたのだ。立場的に殺されかけている。
標高が下がっていくと、雪も降り止み、鳥のさえずりがクリアに響き渡る。
自分が最下位でないことを確認すると少し心に余裕ができた。
いやむしろビーナスラインを早朝に走れるのは運が良かったのかもしれない。
AM5:21(+23:21)ビーナスライン 扉峠
この美ヶ原・霧ヶ峰は長野県央地域を東西に分断させている山地だ。
東側には上田、小諸、佐久、軽井沢
長野県はでかい上に、いかに各地域間での移動が不便であるかが分かる。
山越えをするか、幹線道路で遠回りするかの選択を毎回迫られるのだろう。
美しい。
しかしなんということか、せっかく1900mの山から下ってきていたのに、
また上り坂がいくつもやってくるのである。
だいぶ降りてきたはずなのに、標高は1700m。
たった200mほどしか下れていない計算になる。
「山の天然きのこ汁」
この看板が数十メートル感覚でいくつも現れる。
一杯250円でペヤングの超大盛りが食べられるな...
と感じてしまうのは、きっと私がキノコを好物としていないからだろう。
むしろ、なめことかネバネバしたキノコは苦手。
にしても、この勾配である。
まだ景色が見えるだけマシだが、
夜中に下り坂であることを期待して来たら
絶望のあまりツイッターにポエムを10個くらい書いていたかもしれない。
絶景だ。
三峰茶屋。not三軒茶屋
この近くに、さっきのきのこ汁が飲める売店がある。
ちなみに水の出が不便で、トイレ利用は有料らしい。
朝の混じり気のない空気を吸い込みながら堪能する眼下に広がる山々たち。
誰も人がいないこの景色を独り占め。最高。
あまりにも美しくて、この写真はInstagramにも投稿した。
にしてもこの山はいつ終わるのだろうか。
下っては登り、下っては登り。
時々通る車がエンジンを吹かしながら登っているのでかなり
きつめの坂なんだと思う。
遠くに見える青いやつは...諏訪湖か??
君の名は。に登場する糸守湖のモデルとなった聖地として
最有力候補なのが、この諏訪湖。
標高差約1000m上空からみる景色は映画のシーンと少し似ていた。
AM6:30 (+24:30) 八島湿原
気温は3℃と表示されていたが、感覚が狂ってしまったらしく、
暑い暑いと独り言をつぶやいていた。
少しずつ標高も下がっていき、木々の種類、色が暖色に変わっていくのが分かる。
もうすぐ霧ヶ峰だな。
霧ヶ峰高原
き、り、が〜〜〜みね〜〜〜〜〜〜
明らかにスキー場であろうリフトが現れる。
Q.三菱電機ルームエアコンの名前「霧ヶ峰」の由来はなんですか?
A.長野県の霧ヶ峰高原から来ています。
夏なのに霧ケ峰高原の冷涼な気候が製品のイメージにピッタリという ことで”霧ケ峰”と命名したそうです。
この命名のおかげで、元の地名の知名度も上がり、諏訪市からは、同社に感謝状が送られたというエピソードがあるそうです。
(Yahoo!知恵袋より)
冷涼どころか冷凍庫レベルの寒さだが。
県道194号→県道40号
霧ヶ峰を通過すると突然の急な下り坂。
反対方面からちょいちょい美ヶ原に登りにくるロードバイクたちとすれ違うが、
挨拶する間もないほどの下り坂。
路面ガタガタ、ウインターグローブをしても手の感覚ないし、ブレーキ効かねぇ!!!
一瞬だけ見たスピードにはなんと、
71.4km/h (30kmオーバー、一発免許停止、10万円以下の罰金)
の数値が表示されていた...。
諏訪・茅野市街
AM7:27(+25:27) 上諏訪駅
さっきまでの景色はまるで幻だったかのように、
突然の国道20号、生活感溢れる市街地に出る。
電波を切っていたので、機内モードを解除すると、
2時間前(きのこ汁の看板にいたくらいで)に、すでにこの諏訪のファミレスで仮眠しているという通知が来た。
どんだけ先に行ってるねん。
ついにここで待ちわびていた酷道...国道152号様のお目見えである。
この半年前に、横浜から金沢まで行った時、
「ここ前回の干からびランで通った!!」と1人で喜んでいたのを思い出した。
この川原の芝生は、前回の干からびランで昼寝していたところ。
杖突峠
ここを左折すると杖突峠の始まりだ。
しばらくコンビニがなくなるため、セブンイレブンでサドルを調節がてら朝ごはん、そして朝寝をした。
幸いにも参加者が5人ほど朝ごはんを食べていた。
自分のことを見て第一声、
「また、置いていかれたんですかwww」
ぼくは膝から崩れ落ちた。
朝からペヤング超大盛りと親子丼を食べるという偉業を成し遂げて、杖突峠へ。
ここは小休憩とも言えるほど難易度の低い峠なのだ。
あれれれ、意外に参加者おるやん。
そんなにビリでもなかったみたい...。
しかし、
自分は標高1900mの山奥のトイレで、凍えながら仮眠をしていたが、
多くの人はこの諏訪、茅野市街のネカフェで意外にも快眠していたようだ。
そう、この後ろくに寝れなかった
私へのツケが回ってくるのだ。
前の集団について行ったら、あっさり杖突峠を攻略。
AM9:51(+27:51) 杖突峠 峠の茶屋
峠の茶屋から見る絶景パノラマはお約束。
奥に見えるのが諏訪湖。
前にいた広島大のチームと同じ場所で同じ写真を撮る。
彼らには力強いチームワークがあった。自分のチームとは違って。
土曜日の午前ともあって、たくさんのバイク乗りがミーティングを開いていた。
こんな時期でも桜が咲いていたりする。
写真を撮るだけ撮って、
急いで杖突峠を下る。
長野県はあちこちにソーラーパネルがある。
高遠市街
AM10:10 (+28:10) 伊那市高遠(たかとお)
こののどかで美しい町は、高遠城址公園の桜でも有名だ。
4月には桜祭りで賑わうが、意外にも東京の人は知らなかったりする。
東京からのアクセスが悪いからかな?
この時間がゆっくりと流れている感じが好きだ。
人もいないし、車もそんなに通らないけれど。
って思ったらこんなところでネズミ捕りしてやがる。
飛ばしそうな道だからと言って...このクソぉ....
リアルな人形だった。
「ポレポレの丘⇨」
どうやらお花畑らしい。
ポレポレとは、スワヒリ語でのんびり。
この高遠の街を最後に、150km以上コンビニもスーパーもまともに出てこない区間になる。
そんな時は決まって、ニシザワ高遠食彩館で弁当と食料を買い込み、
駐車場でしばらく寝るのだ。結局1時間近く休んでいた。
意外にも駐車場には参加者が多く溜まっていたが、
起きた時には誰もいなかった。
何回うたた寝しても眠気が覚めない。
ここからまだ3つの峠、200km以上の距離があるというのに、しんどい。
分杭峠
PM12:12(+30:12) 分杭峠登り始め
まずは分杭(ぶんくい)峠から攻める。
去年は逆側から登ってきたが、実はこちらから登ったほうが
斜度はかなりきついらしい。
高遠湖。
このダムはいつも、明るいシアンブルーをしていて、
水面を輝かしている。
美和湖。
高遠湖から三峰川(みぶがわ)に。
しばらくこの川ぞいに国道152号も走る。
いい感じの暖かさと、川の美しさに見とれてしまい、
今度はバス停で1時間寝てしまった。(なんでそうなる)
寝ても寝てもまぶたは開かないし、
体もこわばっていくばかり。
本当に綺麗なシアンブルーをしているんだけど、実は暴れ川で、昔から氾濫を繰り返すんだとか。綺麗な女性には要注意ね!!(黙れ)
分杭峠が本格的に始まると、急に胡散臭く、
「ゼロ磁場」だ
「パワースポット」だ
多用しだす。
って思ったけど、ネットで調べたらこのスーパーゼロ磁場丼、結構すごい丼ものらしい。
なぁ、バカにしてごめんな。。。今度食べにいくからな、許してくれな。。
後ろからホンダフィットがクラクションを鳴らしてきて、
んダァオラァ、ゼロ磁場DQNかと思いきや、
助手席からおじいさんが、饅頭を渡してきた。
あんた、すげえな、この山をずっと超えていくのか、
これでも食って頑張ってくれ!
と、言い残して去っていった。
ってことはあれ???
饅頭を渡すほどの余裕があるということは、
後ろには饅頭を渡す人がいなかった...
絶対ビリやん!!
確かに、スーパーで1時間、バス停でも1時間寝ている。
バカだ。。。
しかもここから分杭峠は本気を出す。
国道152号から酷道152号へと姿を変えていくのだ。。。
この分杭峠、一丁前に観光業で金を稼ぐスタイルで、
パワースポットである頂上には駐車場がなく、
麓に止めさせて有料のシャトルバスに乗せるタイプだった。
往復650円。
近くにはゼロ磁場の秘水とかいうただの水が350円/500mlで販売中!!
あぁ〜〜〜〜〜水s....
話を戻そう、勾配10%以上の登りが延々と続くのだ。
しかもカーブの先から車やバイクが次々と下ってきて怖い。
忘れてはいけないのは、これでも国道である。
ずっと浜松駅までこの国道を走り続けないといけないのである。
頂上はまだ現れない。
また伊那市に戻った。
この干からびランで学んだこと、峠にトンネルなど存在せず、
大人しくあの山の端まで大人しく登るしかないのである。
ほんと、ここまでやらせるんだからぁ〜〜〜
PM2:20(+32:20)分杭峠頂上
ここからゼロ磁場スポットまで約100m、登山道を歩いていかないといけない。
毎年、結局行く気力も、どうせ行っても感が邪魔をして、行かずじまいに終わる。
話しかけてきた人その1
彼はバイク乗りだった。
「バイクでも大変なのにここまで自転車で来るってすごいね〜〜。どこから走っているの?」
「上越から浜松までです!」
「まじやばいわ〜。若いってすごいね〜〜やべえわ〜〜。」
言葉が悪いけど絡み方が、男子校の窓際にいるようなソレだった。
「まじやばいわ〜〜。悪いんだけどさ、記念に写真いい?」
違和感を覚えながらも、
まぁ変わった人もいるもんだと思いながら
自転車と一緒にシャッターの向こう側に立った。
彼は鼻で笑った。
「違う、僕をだよ。疲れてるの?」
一瞬恥ずかしさを覚えながら彼のカメラでおっさんの写真を撮ってあげた。
疲れているのか?そんなはずないな。
読解の難易度的に少なくともセンター試験よりは難しいはずだ。
聞き間違えたとしても、なぜこのようなアプローチの仕方で私に写真を撮らせたのだろうか。
男子校の窓際にいたからだろうか。ソレともこれがゼロ磁場の力か。
話しかけてきた人その2
分杭峠の撮影を終えて、下ろうとしたら、勢いよく警備員が走ってきた。
真っ黒に焼けた肌、フサフサに生やした白髪の警備員おじいさんは、興奮しながら
「さっきからいっぱい自転車がくるんだよ〜〜お前もだろ〜〜〜あれだろ〜浜松まで行くんだろ〜〜〜もう30人くらい行っているから早く行かないと置いてかれるぞ〜〜〜」
やはり俺はビリなのか。
それよよりも大量の鼻毛が恐ろしく両穴からストレートに飛び出していて、
私は目のやり場に困った。これもゼロ磁場の力か。
そろそろ怒られそうだからやめておこう。
前のホンダフィットにくっつきながら下山。
ここから大鹿村にはいる。
油断しながら降りていると落石に引っかかりそうになる。
大鹿村騒動記
ヘリコプター警戒標識...???
この大鹿村では国内でも滅多に見ない「ヘリ注意」標識がおいてある。
調べて見ても、特に詳しいことは書いておらず、
”大鹿村にだけヘリの標識がある”
ことくらいしか分からない。
ヘリが来たらどう避ければいいのだろうか...。
大鹿村は日本で最も美しい村連合にも登録されており、自然豊かな田舎風景が広がる。
大河原村と鹿塩村が合併して大鹿村になったのだが、
1889年以降120年以上合併を経験していない。
・鹿塩村という名にもある通り、山なのに塩水が湧くスポットがある
・人の数より鹿の数の方が多いと言われている
・村内に高校がない
という超過疎地域だ。
最近はリニア新幹線を通す計画があり、村民は反対しているらしい。
PM3:00(+33:00) 道の駅 歌舞伎の里大鹿。
そんな大鹿村にもいつの間にか道の駅ができた。
この時は仮店舗での営業だったが、何も食べずトマトジュースだけ飲んだ。
ここの鹿料理、美味しいよ!
ここは南アルプスがひょっこりはんする場所で、毎回写真を撮るようにしている。
突然ですが、この長野で嫌と言うほど見てきた、日本共産党の
ながせ由紀子議員
の選挙ポスター。
この謎のダウンジャケットのなんとも言えない
着方よ。
気づけば長野県市街地からずっと見てきたのだが、
この大鹿村という過疎地だとより一層
この、ながせ由紀子のポスターが目立つ。
大鹿村の中心部を過ぎると、すぐに無人地帯になり、第二の地蔵峠(詳しくは前の記事参照)が始まる。
地蔵峠 part.2
何度、滝を見たことか。
東京で活動していると、全く実感できないが
意外にも日本はそこら中に温泉も滝もある。
ここから再び酷道のスタート。
路面は荒れ果て、幅は車一台通れる程度。
まじで誰もいねえよ.....
地味にキャンプ場も。
ゴールデンウィークにも関わらず、車は20分に一台通る程度だ。
休日に誰もいないような山でキャンプしたい人、
大鹿村においでよ。
ものすごい崩落っぷり。
ここに人は住めたもんじゃないだろう。
土砂がドシャーーーってなっている。
川原の方に何か動くものを発見。
何でしょう?
タヌキ??
にしてはブサイクだな....
アナグマじゃねえか!!初めて見た。
この区間は舗装が荒れたり、急に荒れたり、情緒不安定な状態が続く。
地蔵峠には、というかこの国道152号線には中央構造線が通っている。
地味に峠の区間が長かった。
写真にすると短く感じるが、この峠を登るのに1時間以上かかっていた気がする。
気がつけば高遠のスーパーから一度も参加者にも出会っていないし、ここに来て浜松に着いたとかいうトップチームの報告もLINEに入り、少しネガティブな感情が出ていた。
PM5:05(+35:05)地蔵峠 制覇。
一見簡単に制覇したかのように見えるが、
ブログで書くほどネタになるようなものもなく、正直なところ
この干からびラン自体に少し飽きが来てしまっている。
ちなみに相方とは朝以来連絡をとっていない。
今まで少し変わり種の桜が咲いてはいたものの、
この地蔵峠ではソメイヨシノがまだ、花を落としきった直後だった。
季節がバグってる...。ぼくが桜を最初に見たの3月の15日とかだったのに。
お地蔵さ〜〜ん
せっかくだから訪問。
ここから鬼面山という山への登山口が始まっていた。
たまには歩いて登山したい。
大鹿村を抜けて飯田市へ。
この辺は国道152号の迂回林道という扱いになる。
こんな過疎地域なのに、地質の説明プレートはこまめに設置されている。
しかもまだ最近置かれたような綺麗さ。
路!面!が!砂!利!
おいおい、一年前から全く変わらねえじゃねえか。
舗装する気ないな???
はよ舗装せい!
この厨二病が喜びそうなやつも相変わらずあった。
地蔵峠の頂上らしき看板を過ぎても、まだまだ上りが続く。
いつになったら下りが現れるのか。
景色は崖だらけ。
あの看板から約20分ほどは、なかなか下り坂にならず
妙なアップダウンが続いていた。
上村・遠山郷
と思えば、急な下り坂が現れ、一瞬にして上村(かみむら)という集落に降り立った。
あの橋桁は三遠南信自動車道の作りかけ。
この浜松〜長野の縦のラインに
高速道路を通そうとしたが、未だ計画が進まない。
日が落ちてきて寒い。
もう5時間以上参加者にあっておらず、流石に不安。
とにかく下り坂をぶっ飛ばす。
「廃校 木造校舎が 面白い」
この看板が3つくらい出てくる。
悔しいことに、少し面白そうと思ってしまった。
ちなみに、サカイ引越センターのCMのロケ地にもなった。
PM6:46(+36:46) 道の駅 遠山郷
最後の峠、兵越峠の手前にある道の駅。
ここで既に丸1日半が経過。
予想外なことに、この道の駅にも干からびランの参加者はいなかった。マジでビリかもしれん。
中には温泉もあるのだが、どうせまた汗をかくこと、入り浸りそうで手前の足湯で我慢した。
ここでリュックに入った全ての食料を胃に流し込み、ベンチで寝袋に包まりながら1時間ほどまたまた眠りに着いた。
順番はビリ覚悟だけど、少なくとも制限時間内には間に合う計算だ。
意外にもこの道の駅には旅行者が多く、
足湯では小学生ぐらいの
子供と初対面であろうおじさんたちが話していた。
「君は将来ビッグになりそうだな〜〜〜!!」
俺もそう言われたいと思いながら寝た。
兵越峠
PM9:26(+39:26) 起床 兵越峠 登り始め
目が覚めたら真っ暗。というか、3時間弱も寝てしまったwww
最悪だ。眠気だけは吹っ飛んだけど。
真っ暗な山の中を1人で行くのは完全なる誤算だった。
普通に怖い。
ここから再び国道不通区間。
青崩峠は地盤の弱さで道路を通すことができず、
兵越峠の林道に強制迂回させられる。
”あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退”
いくつか青崩峠を徒歩で行ってみたという記事を見かけるが、
写真を見ると遊歩道も崩れている。
悲しいことに、こういう怖いところに限って携帯の電波も入らないので、スピーカーからラジオをかけることもできない。さびしい。
暗闇から香ってくる獣の匂いに怯えながら、意味もなく首から下げてる笛を暴走族のようにコール切りしていた。
気のせいなのか、時折両脇から割と大きめの獣が動く気配がする。
鹿?イノシシ?クマ?
心霊現象よりも動物の方が怖い。
一時間半くらい登っていたと思う。
周りに認識できるものは、自分の自転車のライトに映るものしかなく、
人間らしき影(いたらいたで怖いけど)も、ほかの自転車らしき光も、
というか月も、何もなかった。
唯一、星だけが空いっぱいに広がっていた。
だんだんと登っていくうちに景色が段々開けてきたことに気づいた。
ここから青崩峠にも行けるのか。
毎回ここに来るのはすっかり冷え込んだ真夜中で、
木々の中にひっそり立つ看板たちが不気味な雰囲気を醸し出している。
道の駅まで12km、ここまで来るのに2時間弱かかっている。
静岡区間・天竜水窪
浜松という市は無理やり政令指定都市になってしまった感がすごくて、
こんな山奥でも浜松名乗り出す。
まだまだ浜松駅まで80km以上あるんすよ...
あった!!
毎年行われている静岡と長野の国盗り合戦。
綱引きで国境を決め、毎年この札が動いている。
ただいま長野県が3m勝利しているらしい。
国境。
行政的な意味をなすわけでもなく、あくまで一つの行事としてのものらしい。
兵越峠の林道を抜けると、国道152号は突然快走路に変わる。
ここから一気に下り坂。
標高1100mから海まで重力に任せるのみ。
干からびランも終盤だ。
草木トンネル。
この国道152号線自体をを三遠南信道にしようとした計画もあり、
高速道路のキロポスト表示が設置されている。
山の中を思いっきり下りきると、ようやくまともな街灯、人工物、民家が現れる。
5/6 AM0:00(+42:00) 水窪(みさくぼ)
住まだまだ浜松とは言い難い田舎だ。
まともな集落を見たのはいつぶりだろうか。
民家こそあるものの、この集落にもコンビニはない。
しかしようやくスマホの電波が安定し、
一安心。
しかし集落を過ぎれば再び森の中へ。。。
意外にもここから超緩めの下り坂になり(あと60km/標高差250m)、むしろ向かい風が強くてあまり進めなくなる。
と思いきや、あれ!?通行止めじゃないか。
主催からもなにも情報がなかったので慌てる。
どうやら国道152号線、災害の影響で土砂崩れを起こしていた。ひぇー。
※2018年10月に復旧しました。
回り道こそあるものの、やばそうな看板が。
「約30分お待ちいただきます」
おそらくこの先片側一方通行なんだろう、この集落を出るのに30分も停車して待たないといけないのか。陸の孤島かよ。
暗闇の中に煌々と輝く秋葉ダム。
県道285号線。非常に不気味な雰囲気だ。
天竜川のダムの水流の音だけが、響いていた。
時折、道端からタヌキが飛び出して来たりする。
実際に轢きかけてしまった。
1時間くらい道を走り続け、ようやく国道152号線に戻って来た。
AM2:14(+44:14) 船明ダム
このダムの近くに現れるのは、あの高遠から150kmぶりに現れるコンビニ。
やはり自転車は誰もいなかった。
AM2:23(+44:23)月まで3キロ
ナニコレ珍百景にも取り上げられた、
「月まで3キロ」
の青看板。
月こそ出ていなく残念だったが、アポロ11号でなくても浜松に行けば簡単に着陸できる。
実は走っているときにこの看板を写真で撮り忘れたことに気付き、
わざわざ往復5km戻った。
船明を過ぎると、再びまともな街灯が灯るようになり、暗い山林区間が終わる。
ここの境目って、相模原の相模湖あたりから、津久井〜橋本って段々景色が変わる感じかな。
神奈川県民にしか分からないネタだな。
AM2:43(+44:43) 浜北区
写真はブレブレだが、眠気は限界を越して、視界はまさにこんな感じ。
新東名 浜松浜北インターを抜けて、ひたすら直線道路を南下する。
浜北も、以前は浜北市という名前で、
まだまだ浜松とは言い難いのどかな風景だ。
いや、真っ暗だわな。
AM3:05(+45:05)浜松市東区
御殿場では待ち時間が5時間にもなるハンバーグレストラン「炭焼き さわやか」だが、
静岡県西部を中心に展開しているため、浜松市内にはかなり店舗がある。
この東区あたりから、ロードサイドは発展し、
近くには浜松医科大学、イオン、コストコ、スーパー銭湯など大型の施設が並びだし、浜松っぽくなる。
AM3:32(+45:32) 中区
流石に中心部まで来ると明るい。
そういえば...と言った感じで、
今日が浜松まつりであったことに気づく。
浜松まつりはGWに行われる、市をあげた大イベントで、
市民が全力で参加している感がすごい、かなり熱い祭りだ。
見慣れた景色(浜松には自転車、車、電車含め年に5回くらい来ている)、
ゴールまであと少しという安心感から、信号待ちをしているとそのまま寝落ちしてしまう。
あ、これやべえな、って思って、歩道に上がって信号を待っていると、
赤信号が3周していた。そのくらい眠気がやばい。
浜松有楽街が近づいて来ると、浜松まつりの余韻もまだ残っていて、
泥酔した若者の集団をちらほら見るようになる。
ちょいちょい、男女の中に、”エロ”が入っているのが垣間見える。
朝4時なのに、さすがは駅前、人も車も多い。
法被を来た人がこの時間でもまだ元気にはしゃいでいる。
渋谷のハロウィンのような、狭苦しいところで必死に目立とうとしているパリピとは違って、浜松のパリピは独特な開放感を感じる。
決して無理をしているわけでもなく、ただただ純粋に楽しんでいるような。
(仮)ゴール 浜松駅
AM4:00(+46:00) 浜松駅
ってなわけで46時間かけて上越市から浜松駅に到着!
実質のゴール地点である。
完走者はここで写真を撮り、LINEにて報告をする。
写真は浜松駅の広場の階段で酔っ払っていた熟年夫婦(?)を捕まえ、
相当飲んでいるのだろう、シャッターを何枚も押していた。
スマホを落とさないか不安だった。
34位/46人、完走者の中では下から8番目でした。
大学1年生の頃から長距離自転車旅行を始め、
この浜松駅で何度写真を撮っただろうか。
高校の頃、浜松の大学を目指していた自分にとって
何かしらの未練があるのかもしれない。
全然勉強しなかったけど。
駅前のすき家で牛丼を居眠りしながら食べ、
足取りふらつきながらもなんとか朝6時に
ネットカフェ ポパイに辿り着いた。
不幸なことにシャワーはなく、60時間以上風呂に入れていないカラダを拭く為に、ブース内で全裸になり必死に汗拭きシートで吹いた。
ネカフェでの起床
AM8:56 浜松駅
1時間半の睡眠で、集合場所の南区風車公園に向かう。
お気付きの通り、
まだ1人
相方は何処へ。
新浜松駅。遠鉄百貨店。
この百貨店や、アクトシティがある北口とは反対に、
南口には何もなく、シャッター商店街が広がる。
そこから海に南下していくわけだが、
南区に入れば住宅街も消えていき、更地が目立つようになる。
駅から数キロなのに、北と南で全然景色が違う。
閉会式
集合場所の中田島砂丘周辺では浜松まつりの片付け渋滞が起こっていた。
大型のトラックがたくさん出入りしている。
単なる砂浜なんだろうか、あとで行ってみよう。
ここか!風車公園...ってまんま風車がある北欧テイストな公園だった。
AM10:00(+52:00) 閉会式
閉会式。ここで相方との再会を果たす。
まるで1年ぶりにあったカップルかのように...w
謎の気まずさw
ゴールしたチーム順に干からびラン乾燥バッジを前に出てきて受け取り、
完走した乾燥者たちの感想を言うのだが、
私たちが前に出てきた途端、
「気まずそう...」
「仲悪いところだ...」
「置いていかれた人だ...」
「チーム協調性」
といった言葉が多方から飛び交った。
ちなみに最終的に相方に100km以上差をつけられていたみたいです!
100km離れていても、ぼくたちの絆は不滅だぞぉ。
乾燥者たち。
今回4人がリタイアし、91%の乾燥率!!
意外にみんな干からびていない??
428km。獲得標高は8200mUPだった。
干からびランバッジ。
一度解散した後、目の前の中田島砂丘へ。
でか!!!
そこらの砂浜だと思っていたらすごい規模。
砂丘という名の通り、一度丘に登ってから海に降りていく。
昨日の朝は氷点下だったのに、今日はめちゃくちゃ暑い。
砂に熱がこもり、足が火傷しかけていた。
タコもちょいちょい見かける。
昨日の浜松まつりではたくさんのタコで空が埋まるんだとか。
お風呂に入りたい。
どんなポーズなんだろうか。
各自好きに帰路につく。
いろんな地方から来ているので、西日本勢はみんなハンバーグを求めてさわやかに並んでいた。
少しブラブラしようかね。
日曜昼間の有楽街。
昨日の夜とは一変し、
こんな繁華街でも昼間は人が少なく、
みんな、ゆったりと歩いていた。
気がつけば相方は、いなくなっていた。